「わからないことや困っていることはないですか」
今日学校の先生から近況確認の電話がかかってきた。
健康状態の確認等を一通り終えた後、最後にこう聞かれた。
「何かわからないことや困っていることはありませんか?」
そう聞かれ、パッと思い浮かばないことに自分自身驚いた。
「まだ学校が始まってもいないので…何がわからないのかわからないです」
そう答えるので精いっぱいだった。
そう、何もわからない。
辛うじて新一年生となる娘と私が今の段階でわかっていることは、同じ幼稚園の子がクラスに3名いたこと、娘の席が窓側だったこと、靴箱の場所、先生の容姿と名前、手元にある教科書。
それだけだ。
本来であれば、そこからのスタートなのに、スタート出来ぬまま止まっている。
小学生です、と言われても、娘も私もまだ実感がない。
もう4月も終わろうとしているのに、たったの一度しかランドセルを背負っていないのだ。
幼稚園生ではないという事実だけは卒園式をもって突き付けられていて、幼稚園生でもなく、かといって小学生という自覚も全くもって芽生えておらず、なんとも宙ぶらりんな気持ちで今過ごしている。
もし娘の上に姉か兄がいたならば、ここまで『わからない』ということもなかったのだろう。
経験に基づき、なんとなく今後の流れを想像することが出来たかもしれない。
しかし、わが家にとって娘は初めての小学生。
自分の小学生時代を参考にと言っても、もう30年も前の話なのだ。
ちょっとした昔ばなしである。参考にしようにも参考にならないというやつだ。(だって土曜日に授業があった時代なのよ?)
そんな風に、何かわからないことや困ったことはないか、という先生の問いに対し即答は出来なかった私であるが、その後思いを巡らせるうちに今一番困っていることに思い当たった。
私個人としては全くもって不可能であると思ってはいるが、例えばGW明けから学校が再開したとしよう。
行かせたくない。
申し訳ないが、そんなタイミングではまだ怖くて行かせたくない。
しかし、ここで思い至るのが娘の性格である。
彼女は、新しい環境に馴染むのに少々時間がかかるタイプで、この4月に一度だけ学校に足を踏み入れた際には私のそばを全く離れようとせず、不安から不機嫌になっており、「あぁ、やっぱりそうなるよな…」とわかっていたし覚悟していたことではあるが、改めて感じた次第だ。
幼稚園生活も、お友達と一緒に遊ぶよりも自分がやりたいことに重きを置いて行動するような娘で、年長さんになってようやく集団で過ごすことにも慣れてきたように見受けられたが、かといって特段親しい子がいるわけでもなく、マイペースを貫いていた。
人前に出ることが苦手で、新しい場所には警戒心を人一倍抱き、未だに「ママのそばがいい」と口にし、間違うことを極端に嫌う。
荒れ狂うことはないので落ち着いているようには見えるが、その心のうちは大きな葛藤をしていると感じる。
そんな娘なので、小学校生活のスタートは非常に重要だと感じていた。
うまく馴染めるようにフォローしていかなければと思っていた矢先の自粛生活なのだ。
本来であれば、親の意思により「休ませます」と判断すればよいだけの話なのだと思う。
欠席扱いにはならないとの措置も取られていた。
しかし、娘の性格を思えば、「みんなと一緒にスタート」「みんなが同じく知らない状況でのスタート」というのが非常に大事だと思うのだ。
『欠席扱い』にはならないだけで、実際その場にいない時点で『欠席』なのだ。娘がいない状況でどんどん先に進み、娘の知らないことが増えていく。
自分だけが知らない環境というのは、彼女の気持ちを考えると非常にハードルが高く、ややもすれば『学校に行きたくない』『学校が楽しくない』という気持ちを育ててしまう要因にもなりかねないとすら感じる。
娘の通う小学校は児童数の多い学校であり、その中において娘の通った幼稚園の卒園児の割合というのはアウェイといっても過言ではなく、既にクラスの中にもある程度他の幼稚園のグループというか、そういうのも見受けられた。
そういう背景もまた「最初に馴染めなければ居心地が悪くなってしまうのではないか」と懸念してしまう材料でもある。
なぜここまで考えてしまうのかというと、私自身がそういう性格だからなのだ。自分に置き換えてみると、自分が参加出来ていない間に自分が知らないことがどんどん増えていく状況というのは、大変な居心地の悪さを感じてしまうと思う。
もちろん、健康あってのことなので、そんなことはあとから挽回すればよいというのももちろんだ。
でも、コロナが落ち着いた後の生活において、スタートの躓きが悪影響を及ぼしてしまったら…??と考えてしまうとやはり親としては心配になってしまう。
かといって、GW明けからのスタートは怖い。
GW後は延長になったとしても、どこかのタイミングで再開となったときに、果たしてそのタイミングが本当に適切なのか、本当に娘の健康が脅かされないのかどうかもわからない。
きっとそのときにもまた「本当に行かせて良いのだろうか」と悩むことになると思う。
わが子を守れるのは親しかいない、それはもちろんわかっている。
でも、娘のことが大事だからこそ、悩んでしまう。
健康には変えられないとわかっていても、これで良いのか、正解なのか、娘のためになっているのかと悩んでしまうのだ。
私が今一番困っていること。
全て親の判断に委ねられてしまう世の流れに、全て自己責任となってしまう現状に、困っている。