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生涯二度プレゼントされた本

昨日の投稿で、「歴史」に埋もれた理不尽な命の終わりの意味を真正面から受け止め、受け入れ、本当のその意味を心から知ることの出来る自分になりたいと書いた。

やっぱりアウトプットすると、アンテナが高くなり、そこにセンサーが働き、次の気づきにつながることを今感じている。

ふと思い出したのは、アンネの日記。ある動画を見ていてその内容と彼女がリンクした。

「最後まで音読します」、とスタエフで宣言しておきながら、最近停滞している。そのアンネがふと心に浮かんだ。

人生で二度、人からプレゼントとして受け取った本。一回目は母から。二回目は小学校6年生の時の誕生日プレゼントとして同級生から。記憶のかなたにはアニメでも見た気がする。内容は全く理解していなかったけど、自転車に乗っているシーンだけ、なぜかはっきりと覚えている。

そんな「アンネの日記」を何度も何度も読み返した。結末が分かっていて、苦しくなるけれど、それでも何度も読んでしまった。二冊同じ本があっても、どちらも読んだ。

歴史的なその出来事の意味をどう受け止めるのか。ずっとずっと心のどこかに引っかかっていた。本を読んだときに、アンネの年齢を計算し、今生きていたらちょうどこれくらいの大人なんだなあと思っていた。だけど、本の中のアンネは私よりいくつか上のお姉さんだった。そのアンネが、いつの間にか、自分の娘よりも幼い少女になっていた。その時計算したアンネの年齢を私も超えている。

歴史の授業をするときに、どうしても、高校生には知っておいてほしいと思った。ちょうどみんなと同じくらいの子がこの時代にこんな体験をしたんだということを。

アメリカの、とある問題山積みの高校で、非行に走る生徒たちを受け持つ先生が「アンネの日記」を紹介したところ、生徒たちが様変わりした、というエピソードも伝えた。(私の伝え方でどこまで伝わったかははなはだ怪しいが…、伝わらなかったにしても、私の伝えたいという思いは少なくともその時点で成就された)

若くして亡くなった彼女に胸が痛くなり、彼女が生き続けていたなら、その豊かな才能を多くの人のために役立てたに違いないと、想像を膨らませていた。

歴史の授業のためのネタを探していて、出来れば英語の勉強も兼ねた本があればいいなと思って、メルカリの検索で「world history」と入力した。すると、すっかり記憶のかなたに埋もれていたアンネの本が並んでいた。

世界史関連の本を探す中で、どうしてもそこに目が留まってしまった。まるでその本が「買って、買って」と私に話しかけているようだった。
そして素直に馬鹿正直にテンプレートのように買ってしまった。

英文の前書き、私流に手短に意訳すると、こんなことが書かれていた。

ある少年が私にこんなことを言った。「アンネってホロコーストの生存者だよね。」私はその少年のことをはじめ否定した。だけど、よく考えてみると、アンネは確かに生存者だとふと思った。彼女はずっとずっと今も文章を通して生き続けている。…

The world of Anne Frank compiled by The Anne Frank House

そして今日心に響いてきたこと。
彼女は確かに、その年齢で肉体人生を終えた。だけど、彼女の魂はまたどこかで肉体を持ち、彼女はきっとさらなる自分自身の課題と向き合っているって。だから悲しまないでって。

私には私の決めてきたことがある。命を失うことに恐怖も感じた。だけど、私は私の人生を精一杯全うした。次に生まれる時、アンネの記憶は消えているかもしれないけれど、心は引き継いでいる。本当に覚えていなければいけないこと、私はしっかりと覚えている。だから、私のことをかわいそうだとか、そんな風に思わなくていい。私は私の決めた道を歩んだだけ。そしてこれからも歩み続けるだけ。

私の言葉に置き換えてしまったら、何か全く別のものになっていることも否めないけれど…。

つまり、自分の本音に気づこうと、一つのアクションを行うことが、さらに次の気づきへの連鎖になっていくっていうことを言いたかったのかな。命が終わるっていうことを、どう受け止めていくのか?って自分に問いかけたら、それを解明するキーに出会えるように、なっていってるような。

そんなに簡単に自分の本音にはたどり着けない。簡単じゃないけど、あきらめず継続すれば、少しずつ気づいていける。そして自分の本音のグラデーションはだんだんだん薄くなって、限りなく、究極の本音にたどり着けるはず。


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