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30×30 pair.187『謎の女───《まなみ》。×努力クラブ』

 舞台上にいるのはふたりだけの、会話劇。……それも特別、親密そうな。

 in→dependent theatre 1stで、ほぼ毎週火曜日に開催される「火曜日のゲキジョウ」(火ゲキ)は、2団体の作品が各自30分の持ち時間で連続上演される。どんな2団体での公演になるのか、その組み合わせについては偶然の要素が少なからずありそうだが、今回の『謎の女───《まなみ》。×努力クラブ』では、興行としておもしろいシンクロをしていると感じたので書き記しておきたい。

■謎の女───《まなみ》。『はなとたね』
 物語序盤、喩えの鮮やかさで観客の心は早くも掴まれたのではないだろうか。登場人物は、(見かけや話しぶりから)真面目そうな姉と、奔放そうな妹。妹が吸うタバコを、姉はうまい棒と何が違うのかと問いかける。うまい棒とタバコは似ているとは言い難い、しかし食べてしまって濃い味の粉だけが残るうまい棒と、吸えば煙と灰になってしまうタバコ……食べ物という実利的なうまい棒と、退廃的とも言えるタバコ。客席から笑い声が上がった場面ではあるが、人物像の描写としておもしろい喩えであると感じた。

■努力クラブ『おびえているね』
 大柄の男と、小柄の女。男は身体を小さく見せるように猫背気味になり、女は大きく見せるように背筋を伸ばす。男はこわがらせないため、女は舐められないために、社会的なふるまいを実践している。しかし、このようなふるまいは、親密なパートナー関係にあるのであれば不要なはずだ。会話をするふたりには、すでに親密ではなくなっているのかもしれない。

 このことは演出上も徹底されていて、女は肯定の意味で「うん」と答えるシーンで、顔を下に向けて頷くのではなく、頭を後ろに引くようにして縦の動きを表現した。日常生活であれば少し違和感のある動きかもしれないが、演劇においては登場人物の心の機微が見事に身体表現としてあらわれていると言える。男がおそらく感じているであろう、やるせなさ、いらつきは、地団駄を踏むように足にあらわれるのではなく、行き場のない手の動きとして表現されていた。二人が交わす言葉とは、別の「言葉」が、身体によって語られる。会話劇は、ただ台詞をお互いに読みあうだけでは文字で読むことの代替品になってしまう。しかし『おびえているね』では言葉より雄弁な「身体」によって語られている。演劇としての完成のされ方が、見事であると感じた。

 客席から見て右側(つまり舞台の上手)に「姉の面倒を見る妹」「別れ話を持ちかける女」が配置され、舞台の下手に「引きこもりとなった姉」「別れたくない男」が配置されていた。例えば落語では年長者や目上の立場となる人物が上手で話し、マンガでは右開き縦書きという特性から、右側に重要な出来事が描かれる。今回の2作品も、会話において、上手側の人物がイニチアチブを握っていた。しかし、物語が進むにつれ、関係性は次第に揺れ動き変化する。盤石なはずの足元が揺れ、やがて崩れることへの不安や恐怖が、言語ではない表現として、目に見える形で表現されていたことは強く印象に残った。


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