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【From Now On.】〜今からはこう生きていきたいという『選択』〜

昨日「調停」とNVCを書こうと言っていたのですが、そのセッションの動画の期限が昨日までで、動画と共に翻訳も消えていて。。。。。

朝から大打撃を受けています。。。
また翻訳だけは復活することを願って、自己共感をしつつ、別のこと描こうと思います。

KathreenとJared(二人ともアメリカのNVCトレーナー)のセッション。

タイトル:

「チョイス:NVCの鍵となるディフェレンシエーション(識別)が、 いかに意識を拡大し、より独立して生きることを助ける変容を促すか」

むぅぅぅっず。。。。笑
ちゃんと読まれへんこの数行。笑

「でぃふぇれんしえーしょん」ってなぁに?
「識別」・・・ピンとこねぇー。。涙

むぅぅぅっず。。。。笑(今日も二回言う)

ということで、今日のタイトルは、

「選択(チョイス)」

と、思うことにします。笑

心が折れそうなのですが、
それでもわたしの心に届いたものを
今日もシェアをいきたいとオモイマッス。

がんばる。

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何気に知らなかったんだけど、NVCを創設したマーシャル・ローゼンバーグは、NVCと呼ばれているものを作った時、最初のオリジ ナルな名前は『From now on(今からは)』だったそう。

(え!Miyukiに伝えたことあるし!って方いらっしゃったらごめんなさい♡笑)

1970年に彼が書いた詩。

From now on(今からは),  共感とともに相手と繋がることを選ぶ。

From now on(今からは),  自分の中で生き生きとしていることをオープンに明らかにすることを選ぶ。

From now on(今からは),  権威の肩書を身につける時に、意識的であることを選びたい。

From now on(今からは),  わたしたちのニーズを満たすことを失敗した時に、それは欠乏からではなく、 対話や想像力が足りないからなのだと信じることを選ぶ。

などなどなど。

From now on(今からは)、このように人生を生きていきたいという内容の詩を、まず紹介してくれた。

では、響いたことを書き留めておきます。

・「判断」や「思考」や「要求」の違い。それが良い悪いという二元性の話ではなく、違いを認識すること。それがチョイス(選択)につながる

・世界の争いは、深いニーズレベルで起こることはない。手段のレベルで起こる。全ての紛争の下には、人々が持つ共通のベースがあるということ。

・国中で放火、略奪などの暴力が起こっている。この挑戦的な日常に向き合うその中でも、私には希望がある。人々がみんな人間として同じニーズを持っていること。建物に火をつけている人でも、私とニーズが同じということ。そこに共通のベースがある。これがNVCのハートの部分。その人たちの取る手段は怖いけれども、他の選択肢を見つけたい

・わたしたちは相互依存している存在。太陽光、酸素、エネルギー、すべて限りがあり、みんなで共有している。

・分離、独立と依存。これは自分のもの。これはあなたのもの。つながりがない。力を持つ人に依存する。多数派に依存する。(分離…独立と依存… むぅぅぅっず。。。。倒れそう笑)

まだ、がんばる。

どちらが正しい、間違っているという考え方から離れたい。どちらが良い、悪いではない。どちらをも見て、旅をしたい。

・旅したことで気づきを得て、より大きな選択のキャパシティ(能力)があることに気づくこと。

・パートナーシップのパラダイムか、支配のパラダイムからのデフェレンシエーション…

(わ、わ、わ、わからん。。。。倒れそう。笑 と言うことで、思いっきりわたしの解釈でいきます。

①友好的な協力関係から物事を見るか、
②支配の関係から物事を見るか。


自分がどの方向から物事を見ているか、感じているかを、常に認識すること。

間違っていたら教えてくださいね!)

①「友好的な協力関係」とは、
私たちはみんな依存しあっていて、一人の体も心も健康で幸せなことは、全員の健康と幸せをベースとしていること。お互いに与え合い、受け取り合うこと。

②「支配の関係」は、権威で上から支配すること。力は少数(政府など)に与えられて、みんなの健康と幸せ・安全は彼らにかかっている。少数が多くに影響を与える

まさに今のロックダウン。少数の人が「みんなに何がいいのか」を決定している

じゃあ、①の見方で、自分が選択した自宅待機だと、どんな感じがする?

そして、②の独裁的な支配によるロックダウン。誰かが出かけると処罰されてしまうような自宅待機は、どんな感じがする?

これらのジレンマを掘り進むこと

政府が言うことに恐怖から従うのか、医療関係者の経験を信じているから従うのかは、心の中での感じ方は大きく変わってくる。

・家族でも政府でも支配的な構造だと、人が自分の考えを持たないことや、リーダーに従うことに慣れてしまうメンタリティがこわい。多くの人が「リーダー」にただ従う。個人が自分の考えを持たず、考えることをしなくなること。家族でも国でもこれがとても危険だと思うの。


チャットに書くことも、サークルに声を届ける大切な自己表現の一つの方法だから、見ていない人がいたら、ぜひこの声に敬意を表するためにチャットを見てほしい。このような形で、サークルに属する人がいることに気づいてほしい

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あーーーーー。

あーーーーーーーーー。

あーーーーーーーーーーーー。

(言語化できない笑)

このnoteにつながるものがある。

KathreenもJaredも、参加者との対話を見てるだけで学ぶことがたくさんある。参加者のどんなコメントでもハグするように受け止め、「そこに共にいる」在り方。

ある参加者が今回のミネアポリスの黒人が亡くなったことについて、

自分は警官であり、
見ていた人であり、
撃たれた黒人であり、
叫んでいる人であり、
沈黙を守り何も言わない人であり・・・

それを全部の立場になって感じたと。

Jaredは、

「それぞれの違う役を身を以て旅してくれて、それぞれの人の立場に立って感じて、それをシェ アしてくれてありがとう。それを聞くのはとてもパワフルだった。」

と言っていた。

それぞれの立場に立って感じること。
これって本当に勇気がいることだと思う。
場合によっては、想像するだけでこわいし、痛いし、見たくないものが見えたり、感じたくないことを感じたり、目を背けたかったりする。

数日前に「世界の痛みを知る」って書いたけれど、いろんな方向から物事を見て、いろんな痛みを感じることで、「じゃあわたしはどうしていこう?」「どう生きていこう?」と、選択肢がぐっと広がる。

その大切さをKathreenとJaredは伝えてくれた。これからわたしもどれくらい広い意識で物事を見ているのか、自分はどのあたりにいるのか、その上で、何を選ぶのか。

じっくり考えていきたいと思う。


心が折れずに書き切れました。
(いや、折れて二度タブレットを閉じました。笑)

今日もこのnoteの向こう側にいる人たちの存在に支えられています。ありがとう。

では、また明日ココで。

循環が循環を生むのがすきです。サポートしたいただいた循環を、文字で循環していきます♡