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私から見えたもの

また思い出語りにはなってしまうのですが。
noteで書きたかった事の1つだと思って見ていただければ。

高校時代、私は演劇部でした。
別にそれまで演劇に興味があったとかドラマが好きだったとか演技がしたかったとかではありません。
演劇なんて、学芸会や中学の文化祭の伝統行事でやったくらいです。
それに、私は役をもらっていても、ナレーターのような存在ばかりでした。

なぜ演劇部にしたかというと、ただ友達に誘われて見学に行ったからという理由でした。
中学の時からの友達、高校で出来た友達と少し緊張しながら練習している様子を見にいった事を覚えています。
あと、中学の部活で休みのない日々を送っていた私は休みが多そうな部活がいいな〜と思っていました。演劇部は当初、休みが結構あるという話だったのです。チョロい私は飛びつきました。

でも、演劇自体に興味がなかった訳ではありません。
この入部前に先輩達がする校内公演を見たのですが、それがとても魅力的だったのです。
学芸会などを除いて、本格的な演劇を舞台で見るのは初めてだったと思うのですが、純粋に凄いと思いました。
1つ2つしか歳の変わらない先輩がとんでもない事を成し遂げていて、とても大きい存在に思えたのです。

それからは筋トレ(私は未だに腹式呼吸を理解していない)、声出し、滑舌練習。
初めて行った各高校で大きいホールで集まって講習会では演劇が初めてだという子がたくさんいたはずなのですが、講師の方は結構怖かった印象があります。

入部してからの登竜門と呼ばれる劇(引退した先輩達に短劇を見せるのです)では、役者をしました。セリフを忘れないように、アドバイスを忘れないように…と脚本に蛍光線を引っ張ったり、書き込みをしたりしました。
それがキッカケな訳ではないですが、それから私は卒業まで役者をしていました。

正直、演劇部で1番何が大変だった?と聞かれるとしたら、私は台詞覚えでも気持ちの作り方でもパネルを運ぶしんどさよりも、人間関係だったと答えると思います。
もちろん、先に挙げたものも大変だったのですが。

中学の部活は人数はそれなりで、そもそも小学校が一緒な子が多くて、飛び出て気が強い子も居ませんでした。何というか、協力して試合を勝ち抜けよう、励まし合おうが強かったのです。家族よりも部活仲間と居た時間の方が長くて、顧問が怖かったからもあると思いますが。

それに比べて、演劇部の人は何ていうか「強い」のです。
良い意味で言えば、「自分の意見を持っている」。
悪い意味で言えば、「自己主張が強すぎる」。
脚本決めで揉め、オーディションで揉め(私の学校はオーディションで役者を決めていました)、演出で揉め、役柄の分析で揉め、役者とスタッフで揉める。
もはや揉めなかった事柄なんて、ほとんど無かったのではないでしょうか。
役者は役者で「上から目線で腹が立つ、自分のことしか考えていない」、スタッフは「スタッフだけで壁を作る、役者を避けている」
曲者揃いでした。
私は色々あって、身に余る役職を任されていた時期があるのですが、人間関係が悪過ぎて話し合いをした程です。
そんな話し合いでも「意見を取られた」「腹の中なんて話せる訳ない」「何の解決もしていない」と意味があったのか無かったのか。

それでも、私は演劇部にはたくさんの青春があったなあ、と思うのです。
全員が全員、仲が良かった訳ではありません。主張が強い子は最後の最後まで、色々言われていた子もいます。きっと、そこまで思い出や執着が残っていない子もいると思います。
私達はもう二度と、全員で集まることは無いかもしれません。
あの時に揉めたのは、相性の問題が半分くらいは占めると思います。しかし、皆が自分なりに舞台のことを考えていたから、プライドがあったから、ぶつかった問題だったんだろうな、とも今なら思います。
劇が始まる前に皆で「頑張ろう」と言い合いながらグータッチした舞台裏。
稽古での何気ない会話や写真。
発表前の緊張感。
発表された後の歓声。
上演先での記念撮影。
泊まったホテルでの大騒ぎ。
バス内でしたお菓子交換。
最後に皆で打ち上げをした日。
私にとっては、どれも大切で精一杯の青春をしていました。

私はたまたま当たり障りがない事が言えたから、自己主張を強くしなかったから、高校の時に部内で役職があったのだろうと思います。
今でも役者・スタッフ関係無しに遊びにも行けるし、連絡を取る子もいます。
思い上がりかもしれませんが。

でも、それでは、私が一生演劇を続けていく未来だったとしたら全然だめなのかもしれないなあと思います。
話が長いですが、もう少しだけ、この話をさせてください。
では、また次回。

今回の写真は冬に撮ったイルミネーションの写真。

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