見出し画像

とんでもねえ会社に入った時の話2

今回もまたゴリゴリに暗い、メンタル整理用のnoteです。少しでも明るくなるように、文面は変えてあります。皆様が少しでも「やっべえ、こんな会社もあるのか」「労働系の法律は知って損はないな」と思って頂けたら、幸いです…。

そんなこんなで春になった。4,5月はバタバタしていて思い詰める暇も、疑問を持つ余裕も無かった。ただ、他の同級生がSNS等で「同期と呑み会」とか「同期と仲良くなった」とか見るのは辛かった。新しい環境で着実に人間関係を築いている様を見るのは結構寂しかった(会社のパートの方も良い人なんだけど、年代が違うから単純に寂しかった…)。

そして、来たる6月。朝になると、咳が止まらなくなり、胃がムカムカしてくる。学生時代は余裕で食べられた朝ご飯も喉を通らず、全く量が食べられない。「おかしいなあ」と思いつつも、会社の人にも言ってみるも「疲れが溜まってるんじゃない?」「自律神経が弱ってるのかな?」という話になった。私もそうかと思い、医者に行くと案の定、自律神経を整える薬と胃の粘膜を守る薬を貰った。これで、しばらく様子を見ようということになった。

しかし。7月、8月、9月になっても中々良くならない。何なら、眠れなくなってきて、別のかかりつけ医からは「頭が痛すぎて眠れない時があるんです~」と言って睡眠薬を貰った(多分、違う理由だとバレてる)。会社の人に言っても「繊細だからな~うちに来て鍛えなおす?」「おとなしいからストレス発散出来てないだけ」「気の問題だよ」と言われてしまえば、そうか…としか思えなくなってしまった。10月は人生で初めて蓄膿症になった。蓄膿の気はあったけれど、実際になるのは初めてだった。病院の先生には「鼻水出た時点であなたは危ないと思ってください」言われた(余談)。

そして11月。とうとう、会社に行く前に泣いてしまって家で立ち上がれなくなった。しばらくは「私が弱いせいだ」と思い続けたし、4年生大学にまで行かせてくれた親に申し訳なくて、励まされながら会社に通った。耐えきれない日も、正社員が「私しか居ないから困る」と言われた日は恨みを抱えながら、親に送ってもらって(電車に乗れる状態じゃなかった…)会社に行った。その日は会社の人数まで少なくて、面談もしたけど、なぜか直属の上司でもある社長ではなくて社長の旦那さんだった(家族経営だから、出てくるのも間違いではないけれど、正直「私、あなたに心の内を話さなきゃいけないほど親しかったですっけ???」って思ってしまった。)。結局、「今、この壁を乗り越えないと他でも同じ壁にぶつかる。ここで辞めても、他でもダメになる。せめて3年は続けないと。かといって、休まれるのも心の病院なんて行かれても困る、大丈夫頑張れる」というような内容を言われた。その時、私はふと思い出したことがあって、面接のときに「若い人はすぐ辞めてしまうから怖くてね~」と笑いながら言っていたのもこの人だったな、と思った(後々、パートさんが心配して連絡をくれたときに話したら「そこで出てくるのもありえへんし、その言葉もありえへんやろ、3年なんて居たら腐るわ」言ってくれて、心が少し楽になった。)。

12月。頑張って会社に行こうとしたけれど、毎日胃は痛いし、ほぼ半泣きで行くようになった。泣いて行けなくなって、前に言われたこともあったから電話するのも怖くて親に電話をかけてもらったこともある。その週は、他にも不満を募らせていたパートの方と「辞めようか」という話もあがっていた。次の週の初めに、社長に時間を取ってもらって辞める意思を伝えるつもりだった。

次の週の初め。無理して電車に乗ったは良いものの、耐えられずに乗り換えの駅で動けなくなってしまった。泣きながら、親に連絡して、怖くなって皆会社に行っていると分かりながらも、仲がいい友人に連絡を入れた。寒くて、怖くて、自販機であたたかいミルクティーを買った。ほとんど喉を通らなかった。

そこからは自分じゃどうしようもなくなって、迎えに来てくれた親と会社に行って辞める意思を伝えた。正直、「そこまで配慮されてました?」思うような返しもされたけれど、これで辞められると思ったら、とても気が楽だった。「それでは、大変申し訳ないですけれど、辞める手続きの書類の用意をお願いしますね」。間違いなく、こうやって文を切ったと思う。それに対して、相手も「はい」と答えたはずだった。

でも、本当の地獄はここからだった。

今回はここまで!まだ、本格的地獄ではないので、もう少しお付き合いくださいませ。

あまり触れていませんが、私はなぜ会社の何が嫌だったかを考えた時に挙るのは「計画性の無さ」「管理したがる徹底さ(でも、重要なことは雑)」「言っていることが違う」「自己中心的な考えが目立つ」点だったのかもしれません。「計画性の無さ」でいけば、パートさんの時給が決まってなかったり、働き方改革で有給の取得が正社員だけでなくパートも認められるはずで、それを何度も主張しても聞かないふりをされたり(事実、正社員の私でさえも半年経っても有給は出ませんでした)、雇用契約書がないことをいいことに思い付きで言った案を「皆が賛成してる」と思われていたり(実際は説明もされてなければ、どちらかというと反対意見が多くてもお構いなし)。社長の自己都合で残業した時も残業代は出なかったし、昼休みが10分程度しか取らされなくても、書き込み型のタイムカードにはきっちり時間通りに書かなければなりませんでした。何なら、朝早く始まった時でさえも同じ扱い。お金にがめつかったのかもしれませんが、勤務時間が短くなったことで時給を取られるのは極端に目を光らせていた割には勤務時間が長くなったからその分お金をプラスしようとする考えは上の空でした。パートさんはもっと嫌だっただろうな…と思います。「管理したがる点」は、自分のやり方でしか認めない風潮が強かったように感じます。もちろん、他の人の意見も取り入れる時もあるのですが、自分が利用者さんの相手をしている時も「いらないことをしないか」と目を常に光らせられていて、正直居心地が悪かったのです。その気があったのかは分かりませんが、「他の人には軽い声掛けだけなのに何で私はこんなに目を光らせられてるんだろう…パートさんたちは褒めてくれていたけれど、そんなに私は出来ていないから常に付かれてるんだろうか…」という気になって、見事、自信消失。最終的に絵本の読み方にまで色々言われだしたときには「もはや当てつけでは…?」と思えてしまいました。横にいるだけなら、まだしも、かなり怒った口調で焦らされる時もあるので、本当に機嫌の問題もあったのかも、とパートさんたちとは話していました。「言っていることが違う」のは、最初聞いていた話と給料やらうんぬんかんぬんが違っていました!最初、「結構高額な金額だなあ」とは思っていたのですが、入社してすぐに「研修で半年は何万円か引きます」と急に言われて、結局半年間、色々と理由をつけて給料は上がらずじまいでした(これは他のパートさん達も上がらずじまいだったので、単純にお金を渡すのが惜しいくらい追い込まれていたのかな、と思います)。さらに言えば、雇用契約書を出さなかったのもこれが理由な気がします。ほかにも、交通費も人によって支給と聞いていたり、聞いていなかったり(結局、誰ももらっていません)。会社側から返還されるべきお金を返せてもらっていない人がいたり。割と(いや、かなり?)無茶苦茶でした。「自己中心的な考えが目立つ」のは、上記で話した通り~という感じですが、自分は何度も同じことを聞くのに、人に対しては「これ、前も言ったけど」という態度や時間を守らない、経営者にしてもお金にケチすぎる、有給なしと言いながら自分はちゃっかり休みを取って旅行に行く(これが許されるなら、私だって好きな時に1日くらい休ませてくれよと思いました)、何よりも必要書類の確認や予定の確認をしないのをいつまで経っても「仕方ないよね~」で済ます所でした。おかげで、こちらはヒヤヒヤ、キリキリ。めちゃくちゃ予定が詰まっている日ににパートさんに休みを出しまくって、人数が足りないこともザラにありました。

前回以上に長々となってすみません。最後のほうは泣き言で申し訳ないです。どうか、やさしい目で見て頂けるとありがたいです。

今回の写真は、お出かけ先で見た小さな滝です。

次回『正気か!!!???それくらい調べやがれ!!!』編です。

では、また!      

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?