見出し画像

うつるんです human-sickness

【文字数:約1,100文字】

 先日、サカナクション山口一郎さんが「うつ病」を発症し、そこから再起するまでを追う特集があった。

 なんとなく世界を巻き込むコロナ禍に隠れてしまったように思うけれど、山口さんと同じく活動および精神に影響を受けた人は多いはずだし、この間に旅立った人たちとも決して無関係ではないと考えている。

 かくいう私は以前にかなり近い診断を受けており、およそ1年半くらい薬を飲んでいた時期がある。

 あくまで「近い」とはいえ、寝ていることしかできなかった日々があって、その頃の記憶が正直あまりない。

 私の体験から書くのなら、味のしない砂や粘土を食べている感覚になったし、今でも時折なったりする。

 そうして「体験した人にしか分からない」とするのは簡単だけど、今回あの苦しさを自撮りを含めて共有してくれたのは、とても意義のあることだ。


 特集の中で印象に残った部分が2つあって、1つは山口さんにとっての音楽、もう1つは「適応」についてだ。

 開始すぐ自身と音楽について、次のように話していた。

ライトな言い方をするなら趣味、重い言い方をすると人生

 その後に笑いながら「音楽しかないんですよね」と話す姿に心がざわめいた人となら、たぶん話が合うような気がする。

 すべからくアーティストという職業は、そうした粉骨砕身フルパワーから生まれるものがあるとは思いつつ、人生を一本足で歩くには困難がつきまとう。

 受け取る側の私たちだって全力を期待していることが多いし、山口さんが忘れられてしまうかもと危機感を覚えたように、別のものに取って代わられるプレッシャーは一般の仕事にだって共通する。

 また「適応」について、次のように話していた。

適応するか適応できないかで、東京って街は天国にもなるし地獄にもなる

 これは音楽についてだけど、仕事全般に言い換えることもできる。

 仕事のために自分を曲げて適応する場合が多いから、それに適応できなければ仕事を失って路頭に迷う。

 意味のないものを売りつけて営業成績を上げ、人件費を削るために限られた人員で回す環境に適応した私は、経済的な安定と引き換えに心身の余裕を失った。

 心身の余裕を得るために窮乏するのと、はたしてどちらが良いか、という選択そのものがおかしいのだと思う。


 良い人生とは何だろう。

 人の数だけ答えがあって、たぶん正解も同じだけある問いを考えるとき、うつ病のことも思い出して欲しい。

 鏡に映る自分が完璧でないことを棚に上げ、それを相手には求めてしまうのが人間だし、私だって意識しないと忘れてしまう。

 人間の作った社会という揺り籠もまた、決して完璧ではないというのに。


この記事が参加している募集

この経験に学べ

なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?