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色を混ぜると黒くなって白くなる

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 ブレイディみかこ 読了レビューです。

ネタバレ:一部あり 文字数:約2,900文字

・あらすじ

 英国ブライトンに暮らす著者には息子がいる。

 とはいえ著者は日本人で配偶者はアイルランド人だから、だれも生粋の英国人とは言えない。

 彼は両親の見えないほど薄まった信仰心から、市のランキングで常にトップを走る名門カトリック小学校で過ごす。

 そんな彼が次に入学を決めたのは、以前から「ホワイト・トラッシュ白い屑」と呼ばれる白人労働者階級の子どもたちが通う中学校だった。

 本作は不可解にも思える決定をした、著者の息子と共に学ぶ課外授業なのかもしれない──。

・レビュー

「ブレイディみかこ」について

 著者は若い頃から英国と日本を行ったり来たりしており、息子さんが生まれる前は次のようなことを言っていたそうな。

「子どもなんて大嫌い。あいつらは未熟で思いやりのないケダモノである」

2頁 はじめに

 それが息子さんの誕生をきっかけにして保育士になってしまうのですから、きっと感性も面白いのだろうと期待が高まります。

 息子さんと共に学校見学へ行ったときには、音楽室でガラス張りの個室を見つけ、

「あれは何?」

 と聞くと、案内役の女子生徒が答えた。

「レコーディング・スタジオです」
「えっ? スタジオまであるの? すごい」

 思わず跳ぶように中を覗きに行ってから、ふと我に返って息子のほうを振り向くと、彼は冷ややかな眼差しで戸口からじっとわたしを見ていた。

21頁 元底辺中学校への道

 そんなエピソードがあったと書いています。

 嫌な表現をするならDQNドキュンが集まっていそうな学校は、音楽に注力する取り組みにより底辺を脱し、「元底辺中学校」になったとのこと。

 本作は元底辺中学校に通う息子さんと、母親である著者とのやりとりが中心になっており、肩肘はらずに楽しみつつ学べるのではないでしょうか。

英国からすれば日本人は外人

 外国のことを「海外」と呼ぶ日本は、銃弾の飛び交う紛争や宗派対立による弾圧もなく、それなりに平和な国だと言えます。

 自分の生まれ育った国から離れ、外国に行った日本人は現地の人からすれば外から来た「外人」です。

 日本人から見た白人は欧米を中心に住む人たちだと想像し、反対に白人から見ると日本人は、韓国や中国といったアジア圏の人たちに含まれます。

 そうした漠然としたイメージが悪い方向に出たのが、昨年に米国で起きたヘイトクライムでしょう。

 見た目がアジア系だからという理由で、感染症の元凶を作ったとされる中国人だと決めつけ、暴言を投げつけたり暴力を振るうなどの事件がありました。

 海野雅威うんのただたかというジャズピアニストの方が襲撃により負傷し、回復するまでのドキュメンタリーを観たのですが、2008年から米国で暮らしている人は立派な現地人だと思います。

 それでなくても見た目から判断する、悪人だと決めつける、危害を加えるといった行為は、とうてい容認できるものではありません。

 しかし本作の著者は英国で、東洋人のグループをさす「チンク」や「チンキー」と呼ばれたことがあるそうで、中学生の息子さんも同様の経験をしたそうです。

 日本人も複数の意味をこめて「ガイジン」と呼びますし、程度の差があるだけで珍しくない接し方なのでしょう。

 差別的発言をした結果とはいえ、いじめを受ける友人について息子さんは次のように言います。

「僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」

197頁 いじめと皆勤賞のはざま

多様性は面倒くさい

 様々な人々のもつダイバーシティを結集し、活力ある世界を作ります!

 そんなキャッチコピーを見聞きしたような気がするのですが、この「Diversityダイバーシティ」は多様性と和訳されます。

 異なる存在を認めるのが素晴らしいとか、そういう使われ方に対して反論するかのように、著者と息子さんは話します。

「でも、多様性っていいことなんでしょ? 学校でそう教わったけど?」
「うん」
「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばっかりしていると、無知になるから」

 とわたしが答えると、「また無知の問題か」と息子が言った。以前、息子が道端でレイシズム的な罵倒を受けたときにも、そういうことをする人々は無知なのだとわたしが言ったからだ。

「多様性は、うんざいするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

59-60頁 スクール・ポリティクス

 多様性という言葉は、とくに人種や国籍について着目するイメージがあるのですが、出身地が同じ人間であっても無関係ではありません。

 裕福と貧困、両親と片親あるいは里親、LGBTQといった、それぞれの社会資源や個性は人の数だけ存在します。

 昨今の情勢から、生活保護の申請数が増えていると聞きます。

 働かない人間を税金で養うなんて、とんでもないことだと悪者にされがちですが、現在の状況は災害と同じではないでしょうか。

 それとも地震や津波といった、目に見えるものでなければ助けを求めてはいけないのでしょうか。

 『ハリー・ポッター』の作者J・K・ローリングが一時、生活保護を受けていた話を記憶している方も多いことでしょう。

 それを何も考えずに切り捨てていたとすれば、ホグワーツ魔法魔術学校やクディッチ、名前を呼んではいけないあの人など、同作で描かれる世界が知られることもなかったように思います。

すべては黒か白になるとしても

 絵の具を混ぜていくと黒くなり、反対に光は白くなることが知られています。

 本作を読み終えた後にそれを連想したのですが、理由は光を反射するものと光そのものの違いらしく。

 そして現在、地球上のいたるところに生存圏を広げた人類の発祥は、DNAの調査からアフリカではないかと推測されています。

 アダムとイブや伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことなど、神話では色々ありそうに思えるのですけれど、人種の違いは適応した環境の違いでしかなく、見た目が違っても同じ種族だというのです。

 貧富の差は人間社会というか貨幣経済が作り出したものですし、身分の上下も共同体の運営には必要だったのかもしれません。

 かくして私たちは、種としての人類を存続させるシステムにより格差や分断を生みだし、住処である地球を破壊できるまでになってしまったわけで。

 どうしようもないなと呆れつつ、それでも私は未来がどうなるか知りたくもあるのです。

 そのためには息子さんが「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現した、自分とは違う存在について想像するempathyエンパシーの能力が必要になってくるのでしょう。

 私とて人間ですから青くなるときがありますし、生まれた環境によっては黒や白になったりしたのかもしれません。

 それでも大切なのは、どうでもいいと諦めない姿勢なのだと思います。



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