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ほほえむあなたは何色ですか? 《短編小説》

【文字数:約4,800文字 = 本編 4,200+ あとがき 600】

 


 ここはYOROKOBIよろこび CityのMIRAI MINATOみらいみなと 地区にある食品スーパー、KOストア。

 創業者が元ボクサーを目指したものの、プロデビュー初戦でKOされた屈辱を忘れないようにと、引退後に始めたスーパーをKOストアと名付けたそうな。

「KO!」

 自動ドアの開閉とともに録音されたレフェリーの判定が響き、その声によって押し出されでもしたのか、店内に1人の青年が入ってくる。

 彼の髪は夜の闇を染みこませた黒髪で、外が夜でなければ輝く金髪になっていたかもしれない。

 青年はランニングをするボクサーのような服装で、体に張りつく細身のジャージ上下からは形のない闘志が漏れ出ている。さらに何かをつぶやきながら音もなく歩くので、立ちはだかる障害物すべてが消え失せた。

「イチゴ・ミルック……イチゴ・ミルック……」

 ミルコ・クロコップと発音するように飲み物の名前をつぶやいているけれど、彼は格闘家ではなく、ましてやクロアチア人というわけでもなかった。

「イチゴ・ミルック……イチゴ・ミルック……」
「ママー、あの人へんなこと言ってる」
「しっ、関わっちゃダメよ」

 障害物たちが通路の端に避けていく奇跡もまた、黒髪の青年にとっては関係のないことだった。

「クロアチアとアルゼンチン……どっちが勝つかな……」
「ママー、あの人アルゼンチンって言ってる」
「しっ、お魚でもチンアナゴっているでしょ」
「チンアナゴ! チンアナゴ!」

 幼い琴線きんせんもしくはツボにフィットしたのか、少年はウナギ目アナゴ科に属する魚の名前を連呼した。もしもその場所が鮮魚売り場でなければ、社会的にKOされていたかもしれない。

 さすがの青年も視線だけは動かして、すぐに目指す売り場へと意識を向ける。

「イチゴ・ミルック……イチゴ・アナッゴ……」

 なんたる運命のいたずらか、邪気のない少年の連呼が彼のつぶやきを変化させ、この世に存在しない飲み物を作り出した。

「イチゴ・アナッゴ……イチゴ・アナッゴ……」

 生乳および乳製品売り場まで約6フィート約183cmの距離となり、ゴールに突き刺さるシュートを蹴るような意気込みでもって、目的のイチゴ・アナッゴを探し求めたが、

「……イチゴ・はるか……?」

 ふたたび青年は新たなゴールを見つけてしまい、その場に無音で足を止めた。

 綾瀬はるかを思わせる後ろ姿が現れ、ぼんやりしているうちに角を曲がって視界から消え失せる。90分を超える激闘で疲れ切ったサッカー選手は、ときに幻のゴールを見るという。

「そんなの、あるはずない……」

 自分の見たものが存在している証明を求め、青年は足音を消すことも忘れて駈け出した。天国と地獄が数秒の差で決まる、文字通りの戦場を目の当りにしてきた人間にとって、最後の審判が下されるような焦燥感が胸を焼く。

「KO!」

 はるか遠くから入店を知らせる審判の声がして、青年は自分が負けたことを悟った。

 網膜に焼き付いた後ろ姿を探し求めたけれど、性別や背格好の違う人ばかりが視界に入る。その間にも蒸発していく記憶を掻き集め、耳元に何かが揺れていたと思い出し、

「……これは……?」

 通路の端に見覚えのあるものが落ちていた。

 細糸で編まれた四つ葉のクローバーに丸い天然石が組み合わされ、おそらく幸運を呼ぶアクセサリーとして作られたのだろう。

 何も考えず青年がそれを拾い上げたところで、知らない誰かに呼びかけられた。

「あっ、チンアナゴのお兄さん!」
「……はぁ?」

 声のした方向に上半身を向けるとチンアナゴ少年が立っており、その後方には身長6フィートを超えそうな警備員が控えている。

「ぼく、この人がチンアナゴのお兄さん?」
「そうだよ!」
「教えてくれてありがとう。もうママのところに戻っていいよ」
「わかった! じゃあねオジサン! それにチンアナゴのお兄さん!」

 謎めいたやり取りをして少年が去っていく。それを見送ってから警備員は巨体を一歩前へと押し出し、あまりの迫力に青年もまた後ろに下がる。

「……お客様の手にしているものを渡して頂けますか?」

 鋭い眼光が四つ葉のアクセサリーを捕捉して、その矛先は迷いなく拾った人間に辿り着く。

「いやその、これは……」
「来店されたときからマークしていましたが、目撃者からの通報、そして現行犯の確認と、言い逃れはできませんよ」
「……さっきからいったい何を言ってるんです?」

 問いかけに答えず、ふたたび6フィート超の巨体が足を踏み出した。

 理由は分からないけれど、このままではマズいと本能で察知した青年は、空いている手をジャージのポケットに突っ込む。

 警戒した警備員が動きを止めたので、すぐさまポケットの中に入っていたものを床すれすれで投げつけた。

「……それっ!」

 四つ葉のアクセサリーと似ており、ぱっと見では手裏剣にも思えるそれは、買ってすぐに飽きたハンドスピナーだった。投げながら埋め込まれたベアリングを回転させ、勢いそのままで警備員の足下を通過させる。

「ぬぅ!?」

 反射的に片方の足を持ち上げ、身をかわすような体勢になった一瞬を見逃さず、青年は出入口に向けて駈け出した。

「それじゃ!」

 天才犯罪者を目指しているだけあって、走りながら最短距離とその動線を導き出し、軽やかに障害物たちを避け、黒髪に染みこませた夜へと消えていく。

 警備員が店の外へ辿り着いた頃には、どこにも青年の姿は見当たらなかった。

  ◇ 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 全力で走り続けたのは数秒だけで、さほど体力に自信のない青年は、MM地区の巨大会議場、パシフィコYOROKOBIの近くで力尽きた。

 運河を挟んだ対岸にあるコスモスワールドの観覧車が、七色のイルミネーションでもって夜を彩り、青年の手にしているものさえも染めていく。

 いくらか呼吸が落ち着いたところで、四つ葉のアクセサリーを持ち上げ、

「これ……どうしよう」

 そうして自問を吐き出してみるけれど、答えてくれる親切な人間がYOROKOBIなら多くいるのに、さすがに夜だと期待できそうにない。しかし青年には決して裏切らない友人がいた。

「スマホちゃん、君だけが頼りだ」

 求める答えの全てを手中にしたことで、逃走劇へと発展した理由も判明する。

「なになに……チンアナゴは砂地に隠れることから窃盗犯の隠語とされておりって、絶対にウソだろ!」

 根拠の怪しいサイトしか引っかからず、それでも疑われていたのは事実だしと心が折れかけたところで、

「尋ね人はohitoriさんに聞いてみましょう……?」

 いつの間にか占い関連のページに辿り着いたのも何かの縁だと考えて、尋ね人を探す方法なるものを読んでいく。

 それによると白い紙に東西南北を書き、尋ね人に関連のあるものを中心に置いて、目をつぶったまま2回「ohitoriさん」と唱えれば、進むべき方角を示してくれるらしい。

「あれのパクリだろ絶対に……」

 うさんくささしかないものの、他に頼る方法が思い浮かばなかった青年は、

「白い紙なんてないし……あっ、ちょうどいいところに!」

 植え込みに引っかかっていた新聞紙を持ち上げ、折り目で何となく四方向が分かるようにして、その中心に四つ葉のアクセサリーを置いた。

「ohitoriさん……ohitoriさん……」

 目をつぶると書かれていても動くのが見えるかもと期待して、うっすら薄目で待っていると、いきなり四つ葉が浮き上がった。

「あっ! 待てっ!」

 道路を走る車の起こした風がビルの谷間で強められ、突風となって小さなアクセサリーを舞い上げる。

 四つ葉は風を捉えた帆となって、くるりぴかりと丸い天然石を光らせながら空を飛び、やがては観覧車の七色が染みこんで、夜空の小さな虹となった。

「待てっ! 待ってくれ!」

 駈け出した青年は諦められない理由を探しながら、空中に漂う虹の後を追う。自分だけが置いてけぼりにされる寂しさのとげに気づいた頃、地面に落ちた四つ葉は鮮やかな七色を失った。

 一瞬だけ見たあの人のものか分からないし、もし返せても何を言えばいいのか思いつかない。

 色褪せた四つ葉のような表情の青年は、それでも茶色い土を手で払い、どんなに小さな幸運でも構わないと祈るように目を閉じた。

「……あの、こんばんは」

 誰かに呼ばれた気がして顔を上げる。少女ではないけれど、まだ顔立ちに幼さの同居する女性が立っていた。

「それ……私のです。さっき落としたのに気づいて……」
「あ、うん、そうなんだ。僕も見つけて……その、追いかけたんだけど……」

 少しのウソが混じる本当は、やっぱり少しだけ疑われてしまう。

「お店の人に届ければ良かったと思いますけど……」
「慌てて気がつかなかった……のかも」
「かも?」

 問い返されて弁解の言葉を探し、すぐに諦めた。

「……その、後ろ姿がすごく記憶に残ってて、そういえば耳に付けてたなって……」

 本当のことだけを声にしながら、青年は通報されてしまう未来を想像した。ルパン三世なら何度でも脱獄するだろうけれど、ただの犯罪者にはできっこない。

 審判を待つ罪人のような気持ちでいたら、ふわりと女性が笑った。

「おかしな人なんですね」

 てっきり声で刺されるだろうと身構えていた青年は、何も返せないまま立っていた。

「それ、私の祖母から貰ったものなんです。自分を老婆だって言い張る変な人なんですけど、こっそり美魔女って呼んでるんです」

 言いながら歩み寄ってきた女性が、すぐそばで足を止める。

「拾ってくださって、ありがとうございます。これも何かの縁なのかもですね」

 そうして差し出された手は握手を求めていたのかもしれないけれど、いつもの癖で悪いほうに解釈した青年は、持っていた四つ葉をそっと手渡す。

「すぐに会えて良かった。本当に」
「だから、お店の人に渡せば良かったんですってば」

 今度は呆れ顔で言い放ち、それから浮かべた微笑みの背後に、遠くから観覧車の七色が重なる。

 夜の闇を染みこませた黒髪の青年も、虹の色を浴びながら同じように微笑んだ。  



? : …Ho fatto un sogno del genere.(そんな夢を見たんだけど)

? : È difficile da dire, ma forse sei stressato.(言いにくいけど、ストレスが溜まってるんじゃないかな)


Fine.




 この物語はフィクションですが、読む人によっては誰か分かるモデルが存在します。

 制作にあたり、下記の方々の記事を参考にさせて頂きました。



 作中に登場している四つ葉のアクセサリーはhitoriさんの作品で、興味のある方はcreemaのページをご覧ください。

 また、実際の着用例も下記の記事から見られますので、ご参考にどうぞ。

 いちおう断っておきますけれど、尋ね人を探したりする能力はありませんし、急に空を飛んだりもしません。


 こんばんは。辻斬りのように他人をモデルに話を書くムクゲ、りんどんです。

 今回はフォローしている2人のやり取りから、ぼんやり着想したものをガッと文章にしてみました。だいぶ粗いとは思いつつ、サッカーの話は今こそですし速さ重視で形にしました。

 YOROKOBI Cityは横○市ですから、実際にある場所を想定しながら書く練習になるので、まるごと利他ってわけでもありません。

 なによりKOストアの元ネタはよく利用しますので、これから足を運ぶ際には頭の中で、「KO!」とナレーションが付けられることでしょう。

 制作にあたって調べたのですが、美魔女のコンテストは現在も開催中なようで。言葉そのものが作られたのは、けっこう前な気がするのですけれど……。

 まだ書きたいことはあるものの、もう眠いのでここまでとします。

 もし参考にさせて頂いた方々より異議申し立てがあった場合、すみやかに修正および、本作の公開を停止するものとします。

 ここまでご覧くださり、誠にありがとうございました。


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