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あの日の空は何色だったろうか

【文字数:約1,300文字】

 フォローしている方の1人が広島の出身で、お父様による自分史を紹介していた。

 内容としては中沢啓治『はだしのゲン』を連想させる一方で、1945年の8/6から今につながる最後の一文が印象に残った。

私は、あの日からミカンの缶詰が嫌いになった。

 果物の缶詰といえば甘いシロップ漬けになっており、保存ができて気軽に贅沢な気分が味わえる一品だ。

 物不足が深刻だったはずの戦中において、その価値は今の何十あるいは何百倍だったと思うけれど、そんな貴重品を著者は「嫌いになった」と書いている。

 人は食べなければ生きられず、食物の好き嫌いは人となりを表したり、それまでの人生を体現することもある。

 著者がミカンの缶詰を嫌いになった理由は本文に譲るとして、たぶん同じ体験をしていたら、私もまた嫌いになっていた気がする。


 私の祖父は陸軍として中国大陸に渡ったそうで、方面の違いから悪名高いインパール作戦に参加することなく、そもそも後方要員だったのが幸いしてか戦死をまぬがれた。

 そんな祖父は嫌いなものがなかったと記憶しているし、よく食べ酒も飲んだ。

 けれども思い出してみれば、常に水の入ったペットボトルを近くに置いていた。

 その理由を聞いたことはないし、だいたい祖母が茶を淹れた湯飲みがあるので、中身が減らないままだったような気がする。

 過去にあった渇きの経験がそうさせていたのか、高齢者なりの健康対策だったのか、今はもう分からない。


 今年で戦後78年となり、いよいよ当時を生きた人は少ない。

 私自身も断片的に戦中の話を聞かされただけなので、記憶を継承する語り部とは言えない。

 広島、長崎にある平和記念資料館および原爆資料館は訪ねたことがあるけれど、そのときも自分の血肉になったかと言えば疑問だった。

 一方で実際の艦船を擬人化したゲームに興じたり、機械としての興味から戦車や戦闘機を調べるなど、どちらかと言えば歴史を蔑ろにしているのかもしれない。

 ただ、そうした流れで戦争に関わるものに対して積極的になり、千葉および茨木に行った際は予科練平和祈念館を訪ねた。

 原爆のような人類の愚かしさを体現するものと異なり、戦闘機乗りの養成学校について知るのは、戦争を賛美しているように見える。

 けれども詳細な歴史を知るにつれて分かったことがある。

 戦況の悪化に伴ってパイロットの養成期間が短くなり、未熟であるために離着陸が上手くいかず乗機を壊したり、事故死や撃墜される率が高くなった。

 航空機が不足するようになると旧式まで使わざるを得なくなり、やがて帰還できない特攻攻撃へとつながっていく。

 目に見える形を持たないけれど、そうした人を軽視する仕組みもまた人類の愚かしさに違いない。


 去年、noteに別サイトで書いたものを投稿した。

 始めに紹介した自分史を読んだとき、過去に書いたものと共通点があるように思われ、そこからも遠い記憶が身近に感じられた。

 投稿したのは創作つまりフィクションだけれども、形はともかく向き合おうとする姿勢が、人により似ることもあるのだろう。



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