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もしも自分の命が255円だったら

【文字数:約1,400文字】

 ヘッダー画像は先日のツーリングで訪れた、予科練平和記念館の前に展示されている零式艦上戦闘機、略して零戦の実物大模型だ。

 先の大戦において、大本営の東京からも近い茨城県は霞ケ浦に、戦闘機のパイロットを養成する機関として海軍予科練習部、略して予科練が作られたそうな。

 その歴史を学べる予科練平和記念館は、展示物の量や規模において「町の博物館」と呼べるくらいだけれども、その中で強く印象に残るものがあった。

 ただし館内は撮影禁止なので、スマートフォンのメモを読み返して本稿を書いている。

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 戦争があれば人は死に、やがて戦死が遺族に伝えられて葬儀が行われる。

 当時に使われた「死亡賜金封筒」が展示されており、そこには「255円」と印字され、たしか発行者は海軍省だったと記憶している。

 もちろん現在の255円とは異なり、円よりも小さな○○銭が有効だった時代の話だ。

 資料には「S18 1943」と添えられており、館内の別の展示では当時の物価が分かる資料もあった。

 それによると1939~1945年における小麦粉1kgが28~39銭だったそうで、現在のウクライナ戦争と同じく戦時で物価が上がっていたとはいえ、けっこうな大金であることが分かる。

 仮に現在の小麦粉1kgが400円、当時の値段を40銭つまり0.4円とすれば、

 400: x = 0.4:255
 (現在)  (当時)

 となり、だいたい現在の金額で25万5千円となる。

 現在の葬儀費用に当てはめてみると、火葬のみの直葬ができるくらいの金額だろうか。

 計算してみて当時の価値観においてなら、これが妥当な金額なのだろうと思った。

 未来ある家族を喪った悲しみを金銭であがなうことは不可能だけど、軍の経理課などからすれば兵士の1人に過ぎない。

 敗戦に向かいつつある1943年においても、戦える生きた兵士ではなく、死んだ兵士に割く余裕があるだけ、まだマシなのかもしれない。

 ちなみにヘッダー画像にした零戦の値段は、webで調べた限りだと当時の金額で6~15万と幅があるのだけど、これを大戦末期に特攻で使ったというのだから、正気では戦争を続けられないのだろう。

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 ロシアのウクライナ侵攻から、まもなく8ヶ月が経とうとしている。

 その経過に「もう」と付けるか、「まだ」とするかの言葉遊びをしたところで、戦争は今も続いている。

 ウクライナ側が優勢であるように思えるけれど、自国の領土を取り戻したところで、隣接するロシアが消滅するわけでもない。

 海に囲まれた日本では、地続きの敵国がいる危機感を想像するしかないが、数時間で攻め込める場所に敵がいて、無差別なミサイルやドローンの攻撃があるとすれば、どうやっても平静ではいられないように思う。

 原子力発電を縮小する方向だった欧州でさえ、エネルギー価格の高騰を前にすれば、理想ではなく現実を選んでしまう。

 まさか第2次世界大戦で埋められた種が、70年以上の時を越えて芽を出すなんて誰が想像しただろう。

 平和と言われる日本では最近になって、年金の納付が65歳まで延長することが検討されており、いよいよ払うのがバカらしくなってくる。

 これ以上、生きることさえ危うい社会になって、いったい誰が得をするのか。

 それでも自分の死に255円の価値があるなら、少しは気が晴れるのかもしれないが。



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