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男性から見る男性優遇社会の歪さ

『マチズモを削り取れ』 武田砂鉄 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,400文字


 女性は結婚すると名字が変わるよね、という話を始めて聞いたときに驚いた。

 それって加藤さんが佐藤さんになるってこと?

 すげぇ、レベルアップしてる!

 じゃなくて、それまで生きた加藤さんのアイデンティティが危ないんじゃね?

 後になって男性の姓に女性が合わせるためだと知ったけれど、そのときの違和感が私を今なお刺してくる。

 民法の規定で同じ姓にするわけだけど、私の両親もふくめて女性の側が名字変更をすることが多く、反対に男性が姓を変えるのは不思議がられる。

 いわゆる婿入り、婿養子とか呼ばれて付属物みたいな印象を受けるし、それまでの佐藤さん(仮)を否定されるような気さえする。

 本書ではそうした社会に根付く、見えにくいけれど確実に存在する男性優位に焦点を当てる。

 ちなみに例とした名字変更については取り上げられておらず、ちょっとだけ物足りなく感じた。

 ◇

 本書は編集者Kさんの発案というか問題提起から始まり、著者がそれについて考察する流れが多く、競技の二人三脚を連想した。

 電車における痴漢行為に関する章では、著者が体をはって満員電車を体感したり、結婚披露宴に関する章では著者とKさんが偽装カップルを演じて、話を聞きに行ったりする。

 ザ・男な体育会系の部活において、指導死や女子マネージャーの死亡があったことにも触れており、かつて運動系の部活にいた著者の経験が活かされている。

 本書に収められた中で報道されて強く記憶にあったのは、医学部受験における女性の減点処置についてだ。

 私自身は受験勉強ができないタイプの人間なので、内申点を稼いで面接でもって切り抜けたけれど、医学部ともなればそうはいかない。

 貴重な10代を勉強に費やして受験したのに、女性だからという理由で合格から遠ざけられる。

 きつい言葉を使うなら人生を破壊されたようなものだし、受験日には先を急ぐ受験生を狙って痴漢が大量発生すると聞き、ひたすらに気持ち悪いと思った。

 結果として優遇された男性の側にとっても屈辱だから、だれも幸せにならない。

 本書に引用されている書籍の1つにグレイソン・ペリー『男らしさの終焉』があり、それによると白人・ミドルクラス・ヘテロセクシャルの中年男性を「デフォルトマン」と名付けているそうな。

 「昔から自分のウェイトよりはるかに上の階級で戦うことのできる集団」とされ、無意識の特権階級としても間違っていない気がする。

 かくいう私は生物学的には男性であり、それによって様々に優遇されていたように思われ、反対に「男たるもの」という型枠を感じたのは1度や2度ではない。

 ◇

 いちおう人類には2つの性別があるけれど、どちらかを選んで生まれてくるわけでもないし、内面の性となるLGBTQ+についても忘れてはいけない。

 本書が主に扱っているのは男性優位な社会への疑問符だけれど、どこかで見聞きした「女性が輝ける社会」とか、「異次元の少子化対策」だとかに感じるモヤモヤと通じるものがある。

 そもそもなんだ「こども家庭庁」って、言葉遊びもたいがいにしろ。

 いったんストレスから離れ、自分を取り戻すアンガーマネジメントは大事だ。

 それでも著者の30代男性、武田砂鉄さんがよく話している、「なかったことにしない」という姿勢も同じくらい必要だと思う。




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