ソラムネ 【短編小説】
【文字数 2,800 文字 = 本編 2,400 + あとがき 400】
夏の青空にぽつんと浮かぶ雲は、炭酸飲料を開けたときに出来るらしい。
午後の授業が始まるチャイムは強い日差しを浴び、陽炎のように揺らめきながら、雲が一つもない青空へと吸い込まれていく。本当は機械の調子が悪いだけで、春の終わり頃までは美しくも退屈な音色を響かせていた。
今の季節に屋上で昼を食べようなどという生徒はおらず、先生たちもそれを踏まえて巡回ルートから外しているためか、きっと誰にも見つかることはない。
「あちぃ……」
太陽が伸ばした足のすこし先を焼く、わずかばかりの日陰が涼しいはずもなく。熱せられた屋上タイルその他に囲まれているから、解放式のサウナみたいなものだろう。高い場所だから生ぬるい風が常に吹いてくるのだけは助かる。
手の中にある青いガラス瓶を持ち上げると、動きに合わせて中の球体がカラコロと楽しそうに跳ねた。
そのとき金属の擦れる耳ざわりな音がした。
屋内と屋上をつなぐ扉が開いたようで、続いた上履きの足音が他の生徒が来たことを伝えてくる。1人みたいだけど広大なスペースのある屋上で今現在、気のせいでも涼を取れるのは自分のいる日陰しかない。
予想通り角から人の影が現れて、それと足元でつながる男子生徒が姿を見せた。
「やっぱりここにいやがったのか」
「……ここには誰もいません」
「目の前でそれやるの斬新だな、おい」
苦笑しながら断わりなく日陰に入り、冷感素材だと思いたい壁にもたれかかる。そして表面に水滴の浮いたペットボトルに手をかけ、プシュリと炭酸の産声を響かせた。
黒い液体で満たされた容器には口をつけず、
「いま俺は雲を作っているのだ」
と独り言を吐き出して、フタと容器の隙間で生まれた白い空気を見つめている。その横顔に向けて問いかけた。
「浩司までサボったらミキティが寂しがるだろ」
「いいんだよ、今日は特別だ」
「特別ねぇ……」
数学の三木島は隣でコーラ雲を作っている浩司が好きだ。もちろんそれは生徒としてであり、定期テストの平均点を上げる存在として期待されている。
授業を受けずとも内容は録画されているから、様々な事情で欠席している生徒が後から視聴できるようになっており、あまり対面に拘る必要もないのだけれど。
せっかく快適でもない場所に来てくれたわけだし、聞こうと思っていた質問を投げてみる。
「浩司は会えたか?」
ほぼ消えかけた白い空気から視線を離すことなく、いんや、と返ってきた。
「その感じだと拓真もダメだったか。まぁ、お前がダメなのに俺が良かったら今こうしてないしな」
「浩司だったらOK出ると思ったんだけどな」
「おいおい、冗談いうなよ。それだと美理夏は俺が嫌いってことになる」
「違うのか?」
「俺の瞳を宝石みたいだって、そう言ったんだぞ?」
「知ってるし、やっぱり猫にカワイイって言うのと同じじゃないのか」
すると水色の両目がこちらを向いた。
「にゃーん」
それはどうにもにゃんとも奇妙な裏声で、たぶん騙されるのは心優しい人間だけであり、同じ猫からすれば威嚇しているようなものだろう。せっかくなので「にゃんにゃ!」と牽制してみる。
「お前、何やっての?」
「……いきなり素に戻るなよ」
ハシゴを外して一仕事した気分にでもなったのか、やっと黒い液体を飲み始める。水色の瞳は獲物を逃さず見つめ、ごくごくと喉を鳴らす。
「ぷっは! あー、生き返るー」
「そりゃあ良かったな」
隣で美味そうに飲んでいるのを見れば、自然と喉の渇きを覚えてしまう。けれども中身を飲み干して空になったラムネの瓶は、その願いを決して叶えてはくれない。
「いやしかしさぁ、なんでこんなとこにいるんだよ」
今さらな質問に溜め息まじりで返してみる。
「教室は涼しいだろ。何かさ、それが怖いんだよ」
勉強に打ち込めるよう快適にされた空間にも、そうじゃないものは含まれており、あの空間に住み着いた冷たさを思い出してしまう。
「……ああ、なるほど」
美理夏のために作られた1人部屋へ入るには、全身をビニールで包むような防護服が必要で、自分たちは悪いものを持ち込む可能性があるとして、ガラス越しに手を振ることしか許されなかった。
それもやがては断わられ、後で両親から美理夏に止められていたと教えられる。
だから元気だった姿しか知らないし、写真の中で笑っているのを前に手を合わせた。感情にフタでもされているのか、まったく泣けないまま今日になった。
「俺も正直あんま実感ないな」
だよな、と頷いたところで昨日あったことは変わらないのに、取り残されてしまったような居心地の悪さばかりが増していく。
ペットボトルの黒い液体を半分くらいに減らしたところで、水色の瞳がこちらを向いた。残りやるわ、と押しつけるみたいに渡されたのを受け取り、ちょっと迷って飲み干した。
夏の青空に浮かぶ雲はね、きっと炭酸の飲み物から生まれたんだよ。
まだ世界は大きく空を遠くに感じられていた頃、やけに自信ありげな美理夏の放った言葉は今も空を漂って、雲にならないまま消えてしまうのだろうか。
屋上に来たのは雨を待っていたからだ。
快晴の空に雲はなく、これで降り出したら天気予報の意味がない。それでも何かせずにいられないのは、今ここにいない誰かを好きだから、こうしてあるはずのないものを探してしまう。
「……ははっ」
中身のない空になったペットボトルを置いて、青色のガラス瓶を掴む。閉じ込められた球体はカラコロと愉快に遊び、そのままでは外に出られない。
「おい、まさか」
長い付き合いで不穏な気配を察したらしく、獲物のガラス瓶にめがけ手を伸ばし、そのまま取り上げられてしまう。
「心配しなくても投げたりしない」
「ホントかよ」
信じていない表情で訊ねられ、信じろよ、と心にもない空虚な言葉を返す。
雲は水蒸気から生まれるけれど、炭酸を飲んだくらいでは足りないだろう。
それでも美理夏の言葉を思い出せるなら、いつかきっと雲になって空に現れるはずだ。
了
あとがき
暑いなぁと思いながらの移動中、ぼんやり考えたヤマなしオチなし短編です。
もう少し練れば良い感じの話にできそうな気もしつつ、幼馴染の2人がそこにいないもう1人を想いながら、屋上でダベっているだけの話になりました。こういう状況ホント好きだな私。
なぜか夏になるとラムネを飲みたくなるのですが、つまるところ中身は三〇矢サイダー的なものなので、特徴ある形状によって想起されるのかしらと。飲むときにガラス玉を押しこむのも楽しいですよね。
夏は北海道ツーリングに行ったことを思い出す季節でして、ひたすら長い直線を自転車またはバイクで走る体験は、あまり国内だとできないような。正直なところ30分もすれば飽きてきますけどね。
見るものが道に対向車それと空くらいしかないので、走りながら瞑想が始まる人も多いのではないでしょうか。そのまま召されてしまう可能性もあるので注意が必要です。
とはいえ、そうなったほうが私としては苦労しなくて済んだとは思うので、今の季節の空を見ていると様々な感情が浮かんでは消えるのでした。
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