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ブログでも小説になるんだなぁ だぁら

『自閉症のぼくは書くことで息をする』 ダーラ・マカナルティ 訳:近藤隆文 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,600文字

・あらすじ

 彼の名前はダーラ・マカナルティ。

 イギリスの西、アイルランドに住むマカナルティ家の長男だ。

 名前のダーラはオーク、つまりはナラの木を意味する。

 そんな彼は自然保護を訴えるナチュラリストであり、この本は14歳のときのブログを元にしている。

 日々をつづったブログなのに、どうしてか小説にも読めてしまうのは、彼が自閉症だからなのか、それとも──。

・レビュー

 本作は著者ダーラによるブログであり、14歳の春から翌年の冬という1年間の記録です。

 見聞きしたものを文字にしている点でnoteと同じといえますが、彼の文章はスゴいです。

 例として、ある日の書き出しを引用します。

 きょうの空気は甘い味がする。

 ここ何日か、ぼくはあらゆるものをオズの国にやってきたドロシーみたいにして見てきた。

 何があったのかわからない。ひょっとして脳のセロトニンレベルが奇跡的に均衡点に達したのかも。

 ママに話したり、あれもこれもと書きとめたりするのが役に立っているのかも。ぼくにはさっぱりだ。

 いまは霧が晴れて細かい部分も全部見える。

154頁 AUG 19 
(原文より改行)

 小説においても目で見る視覚だけではなく、聴覚や嗅覚による表現があることで、より強く読み手は物語を体感することができます。

 目に見えない空気を知覚するのは嗅覚だけかと思いきや、それを甘い味だとして味覚に訴えてきます。つまり冒頭の一文だけで、2つの感覚器を使っていることになります。

 先の Aug 19 のブログは外出時のもので、ダーラは移動中、あるものに目がとまります。

 ふだん、ぼくたち家族はとてもゆっくり歩くけれど、きょうはきびきびとシムナ川に沿って行進し、パーネル橋を渡り、人だかりを振り切る。

 黄金色のかけらがぼくの目をとらえる。ニカワホウキタケだ。巻きひげ状の担子器果たんしきかが地面からくねくね伸びている。

 さわるとスポンジみたいで、少し湿っぽい。美しく輝く、林床の太陽灯。

 まわりをあさって、これが生えている木の切れ端を見つけると、落ち葉に覆われ、ヒカリゴケに囲まれている。

 ラテン語の学名、Calocera viscosa は、「美しく、ろうのよう」(Calocera)で、「粘性の/ねばねばした」(viscosa)という意味だけれど、いまはねばねばした感じがない。このまえの雨は長くつづかず、そのあとはずっと乾燥しているから。

 155頁 AUG 19 
(原文より改行、一部訂正)

 ……目にGoo○leレンズでも搭載しているのでしょうか?

 詳しい学名は図鑑からの引用かもしれませんが、実際に自分の目で見た感想を並べるのは、どこか研究論文を連想させます。

 さらに「林床の太陽灯」と表現することで、キノコとは違う特別なものに思えてきます。

 ここまで読んできた方はタイトルにある、「自閉症」をすっかり忘れているのではないでしょうか。

 著者のダーラは家族とのやり取りには問題なく、『自閉症の僕が跳びはねる理由』の著者、東田直樹さんと比べて障害としての度合いは低いようです。

 人と話すことが難しい東田直樹さんとは逆に、どうやらダーラは話し過ぎてしまうらしく、その悲しみや悔しさは森で育つ木の芽のように、ぽつぽつと顔をのぞかせています。

 けれども超・解像度の感覚でもって表現される世界は、どれも美しく躍動しており、彼が自然保護を訴える理由も自ずと理解できてくるのです。

 なんとなく名前は知っているかもしれない、グレタ・トゥーンベリさんについても少しだけ触れていますが、本作の主役はダーラです。

 最後に彼がある日に思い浮かべた、詩のような部分を引用します。

光る小道、手招きして……

ぼくはそのなかを歩き、輝きが内とまわりに伝わる……

だんだん大きくなって、だんだん離れていく……

ふと、クロウタドリの波打つ歌。

206頁 NOV 13






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