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私とテニスと車いす

【文字数:約1,000文字】

 車いすテニスの国枝慎吾 選手が現役を引退された。

 私自身は車いすを利用していないし、語れるほど車いすテニスに注目していたわけでもない。

 大学生のとき、選択できる教養科目の中にテニスがあって、そこで初めてラケットを持ってボールを打った程度の超・初心者だ。

 講師の名前がマリオ先生だったから、当然のように「スーパー」と付けて怒られた記憶がある。

 ◇

 その後、テニスについて思い出すことはなかったけれど、横浜のみなとみらいにある店舗にいたとき、車いすテニスをしている選手の方が来店された。

 ベビーカーと同じサイズらしい車いすは、どうしたって目立つので声をかけると、試合に向けたホイールとタイヤの交換を依頼したいとのこと。

 車いすは自転車との共通点が多く、ホイールは軽快車、いわゆるママチャリに近く、タイヤおよびチューブも同様だ。

 私はそのとき接客担当で、作業においては上司に任せる形だったので、終わるまで車いすの簡単な清掃などをしつつ、話をする機会を得られた。

 時間としては20分ほどだったかもしれないけれど、相手から受けるオーラのようなものが、とても独特かつ強力だったと記憶している。

 海外遠征の苦労話、炭素繊維を使った特注ホイールについてなど、自分とは見ている世界が違うのは当然として、それ以前の語り口に強く惹きつけられた。

 たぶん車いすだからと、無意識で下に見ていたのもあるだろう。

 その人から感じたのは自らへの自信というか、肯定感のような明るい雰囲気で、便利な言葉を使うなら「カリスマ性」と表現されるのかもしれない。

 私がおぼろげに知っていた国枝選手の名を口にすると、その人も彼をすごい選手だと褒めており、どこか悔しさの混じっていないような、純粋な賛辞のように感じられた。

 ◇

 作業としては簡単なものだったけれど、上司の作業ミスで後日に再来店されたと聞かされ、私が別に応対してくれたからだとも教えられる。

 そういえば話すときは膝を床につけ、頭の高さを一緒にしていたのも良い印象を与えたらしい。

 しかし私は間違いを知っていたものの、その人に向かって上司が「これでいいですよね」と念を押していたため、反論できずに悔しく思っていた。

 それだけに再来店の話を聞いて申し訳ないのと同時に、名前を出してくれたことが非常に嬉しかった。

 テニスコートの上で躍動する姿ではなく、このようなコートの外でのやり取りながら、以降は車いすテニスに少しだけ興味を持ったのだった。


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