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多様性は環境と受容で育まれる

今回、多様性は環境と受容で育まれるよねという話をしていきます。

最近、多様性は、よくダイバーシティ&インクルージョンとも言われたりするんですけど、そんな横文字はいったん置いといて、僕的に砕けていうと、多様性とは、「色んな価値観を持った人、様々な生活習慣を持った人と一緒にどう生きるのか、またその道をどうやって見つけていこうか、どう社会を作っていくのか、仕組み考えていこうよ」と解釈しています。

結論からいうと、多様性を育むのは、「環境」と「受容」が必要かなと思っています。 

環境って?

かくいう僕の経験(環境)から。出身大学は香川県の福祉系大学。そこへ4年間、通っていて、車椅子を利用する身体障害の先輩だったりとか後輩だったり、あるいは同じゼミ生で、聾の友人もいたりしました。

彼らと楽しい時間を共有したり、一緒にゼミの課題を取り組んだりする時間を繰り返し続けるなかで、目に見える違いって、どうでもよくなってきて、障害の有無抜きに、人へ惚れるようになってきた感覚が、徐々に自分の中で醸成されていったんです。

障害のある人たちと楽しむ、取り組む時間の共有がノーマルポジションになり、多様性への第一歩になったと確信しています。


続いて、受容とは?

就職したての頃。
同年代でつるんでいた生活環境が、ゴッソリ様変わりし、多世代といる時間が多くなり、労働や福祉に対する価値観の違いが、強い違和感(拒否感)を持つようになってきたんです。 


目に見えない違いが、強い違和感を引き起こし、その違いを間違いと捉え始め、排他的な感情が育ち始めたのが、なんとなく自分でも分かり始めました。

仕事終わりになれば、愚痴っぽくなったり、悪口を言ったり、自分の中での折り合いをどうつけようか考えていたんだろうなと、振り返ってみれば思います。

そして経験とともに、利用者支援だけでなく、採用や育成にも携わるようになってから、若い世代の子たちとも、やり取りする機会が増え始めました。

すると、何か大事なポイントを見落としてるんじゃないかなと考えるようになりました。

そのなかで、僕が意識し続けたのは、相手の価値観を受容するには、まずは「自分の嫌い」をむやみやたらに発信しないってことでした。自分が「嫌い」と発信した内容が、受信した側である後輩や同僚たち、携わり始めた若い子たちの「好きなもの」の可能性は十分にありますし、「嫌い」を呼びかけて、仲間が群がり、同じ時間が共有できたとしても、あまり価値がないんじゃないかなと思うようになったんです。


だとすると、嫌いを伝染させるのは、得策ではない。見えにくい多様な価値観と向き合う術は「受容」なのではないか。

でも受容ってどうやってするの?
僕は受容って、「分かる」ところまで行かなくってよくて、「関心を持つ」ところで留めてもいいんではないかと思います。

相手の​​好きなものと向き合った時のリアクションは、「なるほど」「へぇ〜」でリアクションでいい。理解するところまで、たどり着くのは、なかなか難しい。


受け入れるよりも、受け止める感じ。


多様性って、なかなか解釈が難しい言葉。僕は、好きなものを好きと言える文化があった方が心地良いし、それに蓋をする人にはなりたくない。


相手の関心ごとに関心を向けていこう。多様性の学びは、ここからスタート。

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