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人生振り返り-高校生編 前編

読者の皆様こんにちは。初めましての方は見てくださってありがとうございます。
人生振り返り企画第3回は高校生編-前編です!
高校生編はなんと前編・後編でお届けします!

はじめに

高校編ではかなりマイナスなイメージを高校にもたらしてしまう可能性があるので、高校名は隠してお届けします。
皆様にわかっていただきたいのは、決して指導者や学校を恨んでいるということではなく、自分がなぜこのような活動をし始めたのかを知ってもらうために投稿するということです。
また、自分と同じ境遇の中高生の力にも少しでもなれたら良いというのもあるので、多くの人に読んでいただきたいです!
この投稿には賛否両論あると思いますが、是非読んでいただけると嬉しいです。

高校入学まで

中学生編でも書きましたが、私はFC東京U-18に昇格できず、高校に進学することになります。
コーチとの面談の際に5〜6校から話が来ているということが伝えられました。
親には、勉強とサッカーをしっかり両立して欲しいと言われていたし、個人的に寮には行きたくないというのがあったので、自動的に一校に絞られました。

それが私が後に進学する高校な訳ですが、その練習会に夏に行くことになります。
練習会に行くと、練習の雰囲気は最高だし、コーチには即戦力で使いたいと言われるし、すっかり有頂天になってしまいます。
そしてなにより自宅から自転車でいける距離だったというのもあり、学校見学会も一度も行かず、他の高校の練習にも参加せず、スポーツ推薦で入学することを決めました。
しかし、今振り返るとそれが地獄の始まりでした。

怪我

私は、12月頃からトップチームの練習に参加し、このままいけば入学後もトップだろうと思っていた矢先、またしても怪我が自分を襲いました
中学の最後のお別れサッカー的なイベントでフィールドプレイヤーをした時、腰に激痛が走りました。その後セレモニーがあったのですが、その時も座っていられないほどの痛さでした。そして翌日、地元の整形外科に行くと腰椎分離症と言われました。

コルセットをつけて、直すことを選ぶか、痛みに耐えながらプレーをするかという選択肢がありましたが、当時プロを見据えていた私は、このタイミングでしっかり直そうと思い、コルセットをつけて、リハビリすることを決意しました

それからは、怪我したのが2月だったので入学前に怪我人のカテゴリーで活動する異例の新入生となりました。そして復帰したのは7月の合宿2週間前でした。
私の通っていた高校のサッカー部は全国的にもトップクラスを争う部員数で私が入学したタイミングではマネージャー含め、220人以上が在籍していました。その分カテゴリーも多く、全部で、6カテゴリー以上ありました。

高校サッカーというもの

そして、5ヶ月も離脱していた私はもちろん最下層カテゴリーからのスタートになりました。
あまり言わない方が良いかもしれませんが、小中とかなりレベルの高い環境でやってきたからこそ、周りのレベルのギャップになかなか順応できず、自分のコンディションも上がらず、毎練習イライラし続ける日々がここから続きます。
そしてそれに重ねて、尋常じゃ無いほどの素走りがありいつの日かサッカーをプレーすることがつまらなくなり、部活に行きたくないなと思うようになります。
そして高校1年生の冬頃に転校を考え始め、これまでお世話になった指導者の方々にも相談をしましたが、結局次に行った高校でも同じような境遇になるリスクを考え、転校はしないことにしました。

そこからというもの我慢し続け、なんとか冬頃にはトップサブカテゴリーに上がり、選手権メンバーに入る手前のところまで行きましたが、結局全国大会を戦うチームには入れず、応援席でただただPK戦に敗れるのを見ているだけでした。

そしてその間も部活動に対する不満や不信感は募るばかりでした。
まずは監督。中学の時から練習会に参加していたと前述していますが、ほとんどの練習に監督は現れず、指導しているのはヘッドコーチ。週末の試合だけ来て練習など考慮せずいつものメンバーを使う。それは不信感も出ますよね。そして後から聞いた話なのですが練習に来ず、釣りに行っていた日もあったそうです。

次に練習会。これは正直詐欺と言っても過言ではありません。練習会前に集められ、気持ち良い気分で帰ってもらうために積極的に声を出して盛り上げてと言われます。
いつも練習では怒号が飛び交う練習も中学生が1人くるだけで、指導者は誰も怒らないし、それどころか中学生を褒めまくり、囃し立てます。そして私たち選手も中学生に対してプラスな声かけをし続けます。これは中学生も騙されるわと思いました。いつもの練習と全く違うのですから。
どの高校でも同じようなことをしているのかもしれませんが、私はおかしいと思うので、この場を借りて公表させていただきます。

高校サッカーの問題

そして指導者のレベルの低さ、プレー環境の悪さ。これは大問題だなと。
小中の時のコーチは自分と向き合い続けてくださり、時にはぶつかり、サッカーも本質的に理解しているし、尊敬できる指導者だらけでした。

しかし、高校の指導者はサッカー理解度も低ければ、一人一人に向き合う時間もない。
圧倒的に部員数に対してのコーチングスタッフの数が足りなすぎるという問題がありました。典型的な例は長期休み期間の大会合宿。下の方のカテゴリーは臨時コーチやサッカー未経験者などが担当し、まともに指示もできない人もいます。その期間は指導者がいないと言っても過言ではありません。
あまりにも無責任すぎます。
全員に対して向き合えないならもっと少数精鋭にするか、コーチングスタッフを整えるかのどちらかだと強く思います。

ただ、一つ訂正したいのは、中には素晴らしい指導者もいるということです。
高校2年生で1年間見てくれていたコーチは、トップチームとは異なるポゼッションサッカーをやり、高校人生で唯一戦術を学べる場だったし、一人一人にも向き合ってくれました。
また、顧問に関してもAO受験の時には大変お世話になり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
誰か個人が悪いということではなく、この高体連の構造自体に提唱を唱えたいのです。

伝えたいこと

そんなこんなで、学校生活は文化祭や体育祭そして宿泊行事など充実していて楽しかったですが、高校自体が嫌いになり始めてしまいます。
サッカー部を辞めずに踏みとどまれたのは最高の仲間たちがいたからです。
彼らがいなければきっと早い段階で辞めていたと思います。

皆さんは「強豪校なんだから当たり前だろ、何甘えたこと言っているんだとか、試合出れなかったからそう言ってるだけだろ」などと思うかもしれません。でもその当たり前という考えが、日本サッカーましてや日本のスポーツ界が世界から遅れを取る一つの要因になり得ると思います。

最後に

自分が通っていた高校は大学附属だったので、大半の人はそのまま進学するのですが、私は「大学に上がりたくない、他の人とは違う道を歩みたい」と思うようになり、他大学への進学を決意しました。

そして出会ったのが、当時のAO義塾(現loohcs志塾)でした。
ここから私の人生が変わり始めます

前編はここまで!後編も是非見てください!

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私のスポーツ遍歴

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