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優しさは人をだめにするのか

「優しいけど、甘いね」とよく言われる。自覚もある。
相手と共感覚をもちすぎてしまうのは自分の欠点だと思ってきたから。

そして利用される。この人なら何を言っても何をしても大丈夫と思われる。
その場では自分の思ったことを伝えているし、的確なことを言ってしまうから言葉は結構きついはずだけど、最後は許してしまう。

特に対人関係では、因果応報というものを信じているから、最終的には50:50だと思っている。
数日前のnoteとは矛盾しているようにも見えるが、約束を破られるのは、破られる方も何かをしでかしている。事前連絡などの工夫をしない、普段からなんでも許しすぎてしまう、とか。
そもそも共通点があるから繋がっていられるわけだから。

それでも「私が相手の真意を理解している」とわかるように伝えることで、甘えられるのは心外だなと。
仕方ない状況でも頑張っている、という人を否定できない私がいる。
よく知りもしないで否定することはできない自分がいる。

だから、人に時間を使ってしまう。起きた出来事を無視できない。
人というのはやはり自分を理解してくれる存在が好きだと思うから、そうして生まれてきた絆を捨てることができない。

強くなりたいと思って対人スキルも鍛えてきたつもりだけど、強くなったからといって、優しさを捨てることはできない。「厳しさの中にある優しさ」だって、伝わらなければ存在しないことになると思っている。

そうして私は人をだめにしているのかな。
その人の成長や可能性を奪ってしまっているのかな、と思うことがある。
その人を放っておけばいいのにできないことで、自分を苦しめているのかな。

「優」という漢字に思いを馳せると、どうしても捨てきれない自分がいる。にんべんに憂いと書いて「優」。だから、優しい人というのは、人の憂いがわかる人ということになる。

その発言をしたのは、昔仲が良かった同期だった。
彼は続けて言っていた。「でも今から自分が目指すのは明るく元気にどんなときでも強く人を導けるリーダーになること。だから、今からこの場の全員を敵に思うことにする。自分は優しさを見せつけない、同期だからといって同情したり優しくしたりしない。だからもし誰かが先に出世しても自分に「優しさ」を見せないでほしい。自分のことを可哀想とか思わないでほしい。優しさを互いにもつのはやめよう。そうして、一緒に成長しよう。」

それでも彼はどんなときでも人に優しかった。

優しさは人をだめにするのではなく、人と人との関係をだめにすることがある。成長を邪魔することがある。彼はそれを知っていたのかなと思う。

今この瞬間、私の答えはまだふわっと曖昧だけど、昔の飲み友達であり同期の彼を思い出すと、「きっと優しさは人をだめにはしないけれど、甘えて成長がとまらないよう時にはあえて優しさを捨てようね」という感じかな。

かくいう私たちが憧れたリーダーの座右の銘は
”強くなければ生きられない 優しくなければ生きる意味がない”

きっと私の中で「優しさ」は永遠のテーマになりそうだから、焦らないでおこう。

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