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三宅康太のうつわと、珈琲の会

 2023年12月10日、『 三宅康太のうつわと、珈琲の会 』無事に、会を終えることができました。夢だったのかなと思うくらいにあっという間で、しあわせという言葉では纏めることができない程の、様々な感情に包まれた時間でした。見知った顔で埋め尽くされた会場で、三宅くんのうつわを手に取ってこれがいいなああれがいいなあと話したり、これはこうしてあれに着想を得てつくったもので、と三宅くんが説明したり、三宅くんのカップでコーヒーを飲んで椅子に腰掛けてゆっくり過ごしたり、たくさんの方と、三宅くんのうつわを通じて思い思いの時間を共有できたことが、よかった。本当によかった。
 三宅くんをはじめ、会のフライヤーデザインをしてくれた大学時代の友人万侑、会場を快く貸してくださった伊藤さん、会に足を運んでくださった皆様。本当に周囲の方々がいなければこの会はなかったと、本当にそんなことばかり考えながら、じーんとしてうるっときたりしながら、コーヒーを淹れました。
 今回はこの会の自分自身の備忘録として、そしてこれから何らかの会を開かれる方にとって少しでも力になれることがあるといいなと思ったたことが、noteにまとめてみようという動機に繋がりました。

なぜこの会を開こうと思ったか

 この会は、色々なタイミングが交錯し、今でなくてはならないと判断し、たくさんの方が動いてくれて実現しました。いつものわたしだったら入念に考えて、120%の準備をして、とプロセスを踏むところを、とにかく思いつきを口に出して、走り出す衝動的なエネルギーがありました。それは主に3つ、わたしが自分の意思で、島根で暮らし続ける意味ってなんだろうと考えていたこと、三宅くんが倉敷に帰るということを知ったこと、山口に工房を構える舟木邦治さんを訪ねて工房で時間を共にし、そこでの時間と、片道3時間という時間があったこと。そんなことが重なって、実現に向けて走り出しました。2023年11月の初旬のことでした。

島根で暮らし続ける意味

 わたしが島根へ来たきっかけは、同棲している彼がこの土地で山地酪農を勉強したいと志したから。なぜ九州から島根へ?と聞かれるたびに、自分のことではなく彼の話をした。わたしは彼に着いてきたんです。でもわたしはそれでいいのか。とあるきっかけがあり、そのことについて深く向き合っていました。自分の意思がなければ衰退の一途を辿る。そんなこと、言われなくてもわかっていました。でも、気づけば自分の意思がなかったのです。はっとしました。わたしはこの土地で、やりたいことは何か。できることは何か。

三宅くんが独立し倉敷へ

 三宅くんのことを知ったのは2022年秋の温泉津やきもの祭りの数日前、森山窯を訪れた時でした。週末に向けての準備に忙しく手を動かし続ける森山夫妻の傍で働いていた三宅くん。修行中の若い方がいらっしゃるんだなあ。と、少し気になったけれど、言葉を交わすこともなく、森山さんの仕事を少しだけ見学させてもらい、その日は帰路につきました。そして数日後やきもの祭りで、なぜだか三宅くんとゆっくり座って話す機会がありました(なぜだったか忘れてしまったけれど、来客が偶然途切れてゆっくりと過ごす時間があったのだと思う)。自身の心の動きにまっすぐで飾らない、おおらかで限りなく自然体な人、そんな印象。それでもって、なんと1995年生まれの同い年。とにかく衝撃的でした。手仕事の世界に身を置く同年代の存在がずっと忘れられず。SNSでやり取りをしたり、聴いているPodcastが一緒だったり(平野紗季子さんの味な副音声)、偶然にもばったり会ったり、ありがたいことに細々と繋がりは途切れず。
 2023年夏、三宅くんは森山窯から独立されました。これもまた、衝撃でした。いくつかのタイミングで三宅くんのうつわをいただきました。いつも使ってくれているから、とご厚意で贈っていただいたうつわもあります。自宅にあるうつわは、どれも初めて手に取った時の情景が鮮明に思い出せるくらいに思い入れがありますが、三宅くんのうつわは、他のうつわとはまた違った感覚を覚えます。応援したい気持ち、と書けばそれまでですが、自分なりの方法で、どうにか彼の力になりたいなと思っていました。余計なお世話かもしれませんが。そんな中、三宅くんは2023年末をもって温泉津から羽島に拠点を移すそう。という話が耳に入ってきました。10月末のことでした。

舟木邦治さんを訪ねて

 ご縁があり、島根に来た当初からお世話になっている舟木さん。秋の陶房展をされることのことで、手元にあるお気に入りのボウルの相棒をいただきに伺うようご連絡を差し上げていました。ただ、島根で暮らし続けることの意味を考える、という課題にゆっくりと、心を落ち着けて向き合うべきタイミングでもありました。(今考えると、課題に向き合うということのそもそもの本質を理解していなかったのです。紙とペンを用意して、机に向かっていても何も始まらないのですから。)でも折角約束をさせていただいていたし、それをお断りするのもなあ。その時のわたしはよい判断をしました。とにかく誰かと話す必要があるなと思ったのです。舟木さんの工房までの車の中、わたしは折坂悠太さんの音楽を聴いていました。気づけば大熱唱していたのですが『坂道』を歌っていたところ閃いたのです。わたしは三宅くんと会がしたい。漠然としたイメージではありますが、絶対に、三宅くんが倉敷に帰るまで、島根にいる今だ、と根拠のない爆発的なエネルギーが湧いてきました。その推進力が働いたのか、片道3時間は長くありませんでした。最寄りの道の駅に車を停め、三宅くんにDM。今日の夕方会えませんか、温泉津行きます。それに対し早いレスポンス、息子さんをお迎えに行くまでの時間だったらいいよ、とのこと。よっしゃ。この時点でもう心はホクホク。そして舟木さんのところへ到着。大きなメタセコイアが見えて、ああ、帰ってきたなあと。舟木さんはとにかく、いつ伺っても歓迎してくれます。毎回感動してしまう。こんなに人に時間を使っていいのか、とびっくりするくらいにもてなしてくれて、紅茶やお餅をたくさんいただきながら、いろいろな話をしてくださいました。舟木さんの工房で過ごした3時間、こころのホクホクはもう沸騰するのではないかと思うくらいに熱くて、この舟木さんの工房のような時間と空間がつくりたい!三宅くんと!イメージもだんだん鮮明になったような気がしました。

大きなメタセコイアの根本に舟木さんの工房がある
(わたしが勝手に)きっかけを作ってくださった(と思っている)舟木さん


その足で温泉津へと車を走らせました。もうすっかり夕方、漁港の前の広場で、今朝から考えていたことを伝えました(今思うと、中学生の時に好きな人に告白した時みたいな雰囲気。笑)。唐突すぎるしこういうことは(制作期間があるから)2ヶ月前に言ってもらわないと困る(そりゃそうだ)、と怒られつつも面白そうだと言ってくれ、企画を詰めて、改めて連絡するということで合意をいただきました。

温泉津の漁港


会のわけ

 島根の人々の日常に根ざした森山窯で、長きにわたってその場所の空気を吸い、その手を動かし続けてきた三宅康太さんのこと、そしてこれからについて。
 初めてお会いした時、同じ島根という土地で暮らしを営んでいる同い年の彼が、手仕事の世界に身を置き、うつわと向き合い続けていることに大きく心が揺さぶられました。そして彼は地元の倉敷へと帰り、自身の窯を持つ。そんな転換期を迎える三宅康太さんに、その思いを聞いてみたい。そしてそんな場を、誰かと共有できたらなお好いだろうなあ。そうした背景から、この会を開催させていただく運びとなりました。
 この会のために、三宅康太さんに、いつものコーヒー時間に寄り添う日常使いのうつわをつくっていただきました。そんなうつわを、あれがよい、これもよい、これはこうして、どうやって、と話しをしながら選ぶ時間もまた、よい。そんな時間のお供に、あたたかいコーヒーとおやつをどうぞ。お待ちしています。
 つくり手から直接ものを買う。そんなしあわせで、豊かで、特別な機会がそこらじゅうに転がっている。そんな文化のある島根が、わたしは好きです。

 主催者であるわたし自身の想いを文字として、身近な同年代の人たちやそうでない人、様々な方に伝わればよいなと思いました。そのため、フライヤーには必ず会のわけを掲載したいと考えていました。(これは松江のobjects佐々木さんの多大なる影響を受けています。毎回の企画展の佐々木さんの想いが素敵だなあ、とか、なんだかいろいろと想像できるなあ、とか、とにかくわくわくするんです。)そして友人に、こんなに素敵なフライヤーを作っていただきました。

表面(よ、よすぎる)
裏面(よすぎる〜〜〜)


フライヤーデザインについて

 デザインをしてくれた友人とは、大学1年生の時からほとんどの時間を一緒に過ごしました。趣味が似ていたのか、自ずと似てくるのか、彼女とはよく一緒にうつわを見に出かけました。めでたく、10月に彼女の結婚式に招待いただきましたが、本当に、とにかく最高の空間で。招待状、ウェルカムボードからお料理のメニュー表、収集しているうつわや染め物などを持ち込んだ空間作り、引き出物に至るまで、全て彼女夫婦の手作りだったのです。これは、仕事になるのでは、と直感的に思いました。だから、ぜったい、いつの日か一緒に仕事ができたらいいな〜なんてことをぼんやり考えていたのですが、今回三宅くんとの会を開催させていただくことが決まり、真っ先に連絡をしました。とてつもないスケジュール感だったにもかかわらず、これほどまで完成度が高く、わたしの想像をはるかに超えるデザインをしてくれた彼女には感謝しかありません。


会の準備についての記録

スケジュール感

 とにかくこのスケジュール感は、わたし個人としての活動だったから三宅くんが許諾してくれたようなもので、本来ならば実現していなかったかもしれません。

  • 11月2日   三宅くんにオファー

  • 11月4日   会の方向性を三宅くんと共有①

  • 11月16日  会の方向性を三宅くんと共有②

  • 11月16日  正式に三宅くんのゴーサイン頂く、フライヤー依頼

  • 11月22日  会場内覧、確定

  • 11月23日  新聞社へ広告掲載依頼手紙

  • 11月25日  フライヤーデザイン確定

  • 11月28日  紙媒体のフライヤー完成

  • 11月30日  森山さん挨拶、温泉津エリアフライヤー設置依頼挨拶

  • 11月29日  三宅くん窯出し(新窯で初)

  • 12月2日   objects佐々木さん挨拶、松江エリアフライヤー設置依頼挨拶

  • 12月6日  平田エリアフライヤー設置依頼挨拶

  • 12月10日  会当日

 改めて見るとすごい・・。1ヶ月でよくできた、できた、というか、みんなにつくってもらった、というのが正解だろうか。もうとにかく、周囲の人の力を借りながら、助けられてばかりな1ヶ月、と当日でした。
 とにかく、たくさんの人に来てもらいたい!という思いで、フライヤーをお世話になっているお店に配らせていただいたのはもちろんなのですが、島根では購読している方が圧倒的に多い山陰中央新報へ7枚にも渡るラブレターをお送りして広告を乗せてくださいと懇願するなどいろいろな方法をとにかく考えて実行しました。(結果的に新聞社さんは当日取材に来てくだりいろいろと話を聞いてくれたり写真を撮ってくれたりしました。紙面に載ったのか載ってないのかは不明)

1.三宅くんにオファー(11/2)

 こちらは先述した通り、唐突な思いつきをぶつけるミサイルっぷりを発揮してしまい。でも本当にあの時、三宅くんのところへ行ってよかった。あのときのわたしは、行かないなんて選択肢はなかったのですが・・

2.会の方向性を共有(11/4)

 わたしの中での想いはオファー時から変わらないので、このときは主に、ハード面の共有をしました。ここでわたしが考えていたポイント3つ
①多くの方に三宅くんのうつわを手に取ってほしい
②コーヒーやおやつを提供できる環境(許可的な問題)
③費用を抑えたい
こちらを考慮した結果、わたしが所属しているIMAGINE.COFFEEの環境を使わせていただくのが良い、ということでオーナー岸本さんに自主企画をやらせていただけないか、と相談しに行きました。ぜひやりましょう。と岸本さんにご快諾いただき(もうほんとうにいつもありがとうございます涙)三宅くんに即提案。しかし、三宅くんの反応はなんだか薄い。三宅くんからの返信をしばらく待ちました。
 数日後、三宅くんから着信。三宅くんとしては、わたし個人としての企画を受けており、公式なお店としての企画となると三宅くんの既存のお客さまとの兼ね合いもあり、また話が変わってくるので、今回は見送りたい。とのこと。うわあ。そこまでの想像力が働かなかった〜。そして、本質を捉え間違っていた〜。またひとつ、学びがありました。気づかせてくれた三宅くんありがとう。もう一度考えなおすので、また提案させてもらえないかとお願いしました。

3.会の方向性を提案(11/16)

 三宅くん(とわたし)が、自由に自分を表現できるフラットで、かつ身近な場所を探しました。IMAGINE.COFFEEの仲間に相談したり、いろいろと歩き回ったり、そうして出会ったのが平田の木綿街道にある"イトウケンチク分室"でした。(イマジン伊勢宮の青山さんに多謝です!!!)建築が本業の伊藤さんですが、たまにイベントDJをしたり、なんだか不思議な方。普段は伊藤さんのワーキングスペースとして活用されており、土日はイベントスペースとして開放されています。そして利用料がめちゃ安い。飲食系の許可もばっちりで、とにかくハードルが低い。ありがたい。予定していたスケジュールも大丈夫とのことで内覧の予約をさせていただき、改めて三宅くんに提案。作ったこともない企画書を、自分なりに作ってみました。考えられるだけのことは考えて書いた。三宅くんが、より具体的に鮮明に当日がを想像してワクワクしてもらいたい、やってみたいなと思ってもらいたい。その一心でした。

三宅くんにお送りした企画書、す〜ごい簡易的

4.三宅くんのゴーサイン、フライヤー作成依頼(同日)

 企画書に目を通したのち、そこまで言ってくれるなら。と三宅くん。熱意というか、想いというか。そんなものが少しでも伝わったのであれば良かった。ありがとうございます!!!!!!!!!そしてこれからだ。頑張るぞ。感謝や喜びやいろいろな感情が目まぐるしく溢れる中、すぐさま東京に住む大学時代の友人万侑に、正式にフライヤーの作成依頼を行いました。仕事など忙しい中、依頼から数日で完成版の9割以上を仕上げてくれ頭が上がりませんでした。彼女のセンスや興味を理解した上で、それでもって趣味が似ていると話が早い。三宅くんもスピード感と完成度の高さにとても驚いていました。(三宅くんの義兄で、倉敷でいかごを作る須浪さんも褒めてくださっていて!!!万侑と喜びました) 微調整を重ね、2週間弱でデザインが決まりました。

5.会場内覧(11/22)

 さて、そうと決まればイトウケンチク分室さん内覧、人生二度目の木綿街道へ。わたしは島根に来る前は佐賀県嬉野市塩田町というところで暮らしていたのですが、雰囲気がよく似ているなあと思います。塩田町は長崎街道の宿場町で国指定の伝統的建造物群が残されている街でした。木綿街道の白壁の蔵や町屋が塩田を彷彿とさせ、なんだか懐かしさを感じ、感慨深くなりました。
 伊藤さんとは二度目ましてだったのですが、しっかりお話しするのは初めてでした。さて、会場はというと、まず、外観が良い。くねっとした煙突がなんだか生きているようでシルエットもかわいい。建物の中は、昔ながらの小屋組(好き!!)が露出ししっとり落ち着いた空間。三宅くんが作るうつわをこの場所で見てみたいなあと、イメージが湧きました。三宅くんに動画や写真を送ったのち、いいね、ということで伊藤さんに会場のスケジュールを抑えてもらいました。とにかくほっとした。

イトウケンチク分室外観(2階)
このアングルが素敵でよい〜
イトウケンチク分室内部
壁に沿って置いてある棚にとっておきの三宅くんのうつわを飾りたい

6.山陰中央新報へ、筆を執る(11/23)

 とにかくあの頃のわたしは集客ができるか焦っていました。ターゲットとしては同世代を考えていましたが、実際に民藝的なうつわにお金を払うのはもう少し上の世代だと思います。そういった人たちにもこの会のことを伝えるためには、新聞!島根の人たちの購読が圧倒的に多い山陰中央新報へ、会のことを載せてくださいと、手紙を書く!と思いついたその足で出雲民藝和紙の便箋を買いに、安部榮四郎記念館へ車を走らせました。圧倒的、形から入るタイプ(それが良さだと思っている)なわたし。時間に余裕がなく、記念館を見て回ることができなかったので、リベンジしたいなあと思っています。和紙ってとてもいい。七夕入りという色々な色の和紙のかけらが入った手漉き和紙の封筒と便箋を選びました。

八雲いいところだ

 その晩、私の思いをとにかくとにかく綴った7枚にもわたるラブレターが完成し、速達で発送。会まで残り2週間と少し。兎にも角にもこのスピード感が重要でした。

7.温泉津へ(11/30)

 森山さんご夫妻にご挨拶をと車を走らせ森山窯へと向かいました。その前にやきもの館へ。今度こういった会を三宅さんとさせてもらいます。フライヤーを置かせてもらえませんか?と受付の方に話しかけると、あなただったのね!話してみたかったです。と、なんと会のことを知っていてくださいました。久美さん。本当に嬉しかった。久美さんも九州からご結婚を機に移住をされて来られたようで、地元も近く、1時間半くらい盛り上がってしまいました。すごくすごく応援してくださって、心強く有り難かったです。ご縁ってとても不思議。
 ほくほくした気持ちで森山さんを訪ねました。事前に連絡を差し上げていたわけでもないのに、温かく迎えてくださりました。三宅くんが森山さんのところを訪ねてきて、正直なところ受け入れるつもりはなく、数日様子をみていたところ、これほど仕事の覚えが早い子はいないと驚いたこと。多くは語らずとも真っ直ぐ、真摯に森山さんの言葉を受け止めて体現していたこと。独立してからというもの最近はめっきり顔を見ておらず少し寂しいこと。など、手元では止まることなく湯呑の高台削りをしながらもゆっくりと話を聞かせていただきました。

森山さんと、森山さんの仕事場、かっこいいなあ。

 奥さまが出してくださった鬼柚子の甘露煮がむっちりしっとり、甘味と酸味のバランスが最高で、お茶との相性も良くしあわせでした。3人で机を囲んで、三宅くんのことをそれぞれ考えながらゆったりする時間。ずーっと、夢みたいでした。

みてくださいこのつやっつやの甘露煮

 その頃三宅くんは倉敷で初窯だったよう。三宅くんのストーリーズでかっこいいのがお目見えして大興奮。いい感じよ!とのことで安心。というか初窯のうつわを会に持ってきてくれるなんて聞いてないんですけど!!!と歓喜。

三宅くん手ぇでか

8.松江へ(12/2)

 一番の目的はobjects佐々木さんに報告すること。こういった挨拶が必要なのか、そうでないのか、ということはまるでわからなかったし、応援してほしいとか、佐々木さんの力を借してほしいとか、そういうわけでもないけれど(そうであったら嬉しいけれど)、とにかく佐々木さんに伝えたいなと思ったのでそうしました。その日は丁度古美術三樹さんの展示が別館で開催されており、古美術ってどういったものだろうとわくわくしながら別館を訪ねました。なんとなく敷居の高そうな古物、意外と身近で、面白い!三樹さんが時代背景や作られた環境、意味などを丁寧に教えてくださり、時を超えて今この時代に古物に触れることができる喜びを噛み締めながら、ぴんときて愛着の湧いた1枚を頂きました。

みてください、この愛おしい姿を

 古伊万里、江戸時代に作られた、400年ほど前のもので、富士山に美保松原の印判。現在はほとんど使われないという焼き継ぎの技法で修復されています。愛おしい、かっこいい。すごく熱い時間を過ごさせていただき、佐々木さんにもぜひ力になれることがあれば、応援しています。と温かいお言葉を頂き、改めて、会をやるんだ。と実感したとともに、うお〜がんばるぞ〜!パワーが湧いてきました。
 帰り道にイマジンコーヒーに寄って、フライヤーをたくさん置かせてもらって、青山さん(これまた多謝)がKäferと宍道湖ワインに連れて行っていただき、それぞれお願いしてフライヤーを置かせていただきました。なんというあたたかさ。感謝でしかありません。(宍道湖ワインの太田さんは当日もわざわざ足を運んでくださり、おでん3種を盛ろう〜と深皿をいくつか購入いただきました。うれしや。)

9.平田へ(12/6)

 何度も足を運んでいるあづま堂さんへ。あづま堂さんの和菓子、美しくて季節を感じられて、目でみて楽しい、口に入れて楽しい、いつもしあわせなきもちになります。山本教行さんの花瓶や陶板、そしてそして包装紙がとてもキュートなんです。こちらにもご挨拶に伺い、フライヤーを置いていただきました。オーナーご夫婦はこの会を知ってくださり、気になってくれていたようで、とてもありがたく、当日も足を運んでくださり感謝でした。またゆっくり、お話ししたいです。

11月にいただいた栗饅頭と、柿饅頭


コーヒーやおやつについて

 この間三宅くんとはメッセージでやりとりをしながら、それぞれが準備すべきものを洗い出し担当を決めたり、わたしはコーヒーやおやつについての計画を立てたり、レシピを検討し試作を重ねたり。

 コーヒーは働かせていただいているIMAGINE.COFFEEのエチオピアとグアテマラのコーヒー豆を購入しました。コーヒー器具類は基本的に自宅で使っているもの、購入したのはサーバーとコーヒー用の温度計くらいでしょうか。

・グラインダー Wilfa
・V60ドリッパー、ORIGAMIドリッパー
・エアロプレス
・ペーパー類
・サーバー(今回購入)
・スケール HARIO
・ケトル HARIO
・電気ケトル
・温度計(今回購入)
・ミルクパン

 あとはもろもろスプーンとか、ドリッパーの受けとか、意外と揃ってた印象。提供したのはドリップコーヒーとカフェオレ。カフェオレはエアロプレスでエスプレッソ風な濃いコーヒーを落として温めた牛乳で割る、福岡 Manly Coffee須永さんレシピ。牛乳は木次乳業ブラウンスイス牛乳。

 おやつは様々なレシピを参考に、米粉をベースとしたグルテンフリーのケーキやクッキーを検討しました。最終的においしいと納得した、パウンドケーキ2種(プレーン、チョコとクランベリーといちじく)、バターサブレ、オートミールクッキーを当日用に焼きました。なんと、驚くことに、写真がひとつもない!!
 みんなに食べてもらう、という目的のためにおやつを作るのもなかなかよいもんで。今までは自分が食べたいものを食べてたい時に作って、それはもちろん自分の腹の中に入れる、完。だったのですが、お世辞でもおいしいと言ってもらえるのは嬉しかった。のです。新たな発見でした。


当日のこと

 9時の開場にあわせて、7時ごろに現地集合。なぜか前日に頭を丸めた(それがまためちゃくちゃ似合ってる)三宅くんの車に積まれたたくさんのコンテナ。積み下ろしを手伝いながら、この重みにぐっとくる。丁寧に包まれた新聞紙を解きながら、あれもいい、これもいい、ええ〜これかっこいい、うわあ〜。全部使ってみたい。と大興奮してしまいました。印判で模様がぐるっと入っている平皿があって、すごく気に入ったのでこれは何の柄?と聞くと、ウィリアムモリスのいちご泥棒と唐草を合わせてみた模様だと三宅くん。色々なものを見て、感じて、インプットしたものを三宅くんのフィルターを通してアウトプットされたものが形になるというのは不思議な仕事だし、うつわは作り手の化身のようなものなのかもなあ、と思いました。毎日のように使ううつわは、作り手の心と手があってこそ。また、ぐっとくる。平野紗季子さんがポッドキャストでおばあちゃんちで毎年開催されるお餅つきの話をしていて、湯気とか、みんなの掛け声とか、そんなのも含めて味だよねって話してた。もう本当にそれなんだよ、と思った。それなんです。あれこれ話しているうちにみるみる三宅くんのうつわでいっぱいになる会場は、それはそれはもう、壮観でした。

全部よい
これです、わたしが生けました


 9時の開場に合わせて、森山窯の古くからのお客さまが関西からわざわざお越しくださりました。この会の1週前の、さんはうすでの三宅くんの展示の際にもいらっしゃっていたようでしたが、ゆっくりと三宅くんと話すのは初めてだということで、これまでのいきさつやものづくりにおける考え方などを話しされているのを聞きながら、知らなかったことばかりだなあ。と面白く。コーヒーもすごく美味しいと喜んでくださり、うれしい。うれしい。その後も続々と、見知った顔で埋め尽くされ賑やかさが途切れない会場。たくさん相談してたくさん時間をいただいたIMAGINE.COFFEEオーナー岸本さんはじめ、イマジンメンバー、そのお客さま、フライヤーを置かせていただいたお店の方々、偶然通りがかった方、ご近所の方・・とにかくずっと、三宅くんのうつわを誰かに見ていただいていて、三宅くんはそれを見守って、時にはうつわについての説明をしながら、選んでいただいたうつわをつつみ、わたしは、わ!わたしこれいいなあと思ってたんです!と気になっていたいたうつわたちを見送り、コーヒーを淹れておやつを用意して。わたしは本当に全てに感謝の気持ちと、こんな時間がやりたかったんだなあ。こんな時間をつくり続けたいなあと思いました。

いつもお世話になっているみなさま
永遠の憧れ摂さん、たくさん悩んでくださってうれしかった


 8時間という限られた会の時間が、本当にあっという間で、気づけばあたりも薄暗くなってきた。三宅くんの奥さまのもえさんが、会場のお隣のお醤油屋さんでアイスを買ってきてくださり、そこに居合わせたイマジンメンバーの摂さんとまりかさんも一緒にプチ打ち上げ。そこでもえさんがポツリと「本当にすごいスケジュール感だったけど、ここへくるまで莉奈さんのスピード感が素晴らしかった」と仰ってくださいました。三宅くんも、倉敷の窯が落ち着いて、窯開きができるような体制になったら、またコーヒーを淹れにきてほしいと。思いつきをたくさんの方のお力を借りながら実現できて、今日みたいな日のことを、限られた人生の中で体験できたこと、そして、その時間の中で、誰かの心を動かして、自分を含めた誰かのこれからの人生のヒントになったのかも知れない、と思うと、幸せ、たるや。

これにて、完。よい写真。


最後に

 今回、わたしは圧倒的に周囲の人たちに支えられて生きていることをそれはそれは強烈に実感しました。本当に当たり前のことであって、そんなこと誰でも知っとるわ!と思うけれど、自分が描いたと思っていた時間を作ってくれたのは、紛れもなく周囲の人たちだった。三宅くんと会ができて、たくさんの方にうつわを手に取っていただいた幸せも計り知れないけれど、兎にも角にも、人という字は、、、みたいな話ですけど、持ちつ持たれつ生きているのだなと、そしてそれが当たり前のことだと思って過ごすのか、感謝の気持ちを忘れずに謙虚に生きられるか、で今後の人生まるっと変わりそうだと、そのくらい本質的で、人間の根源的なところを強く、強く刺激されました。人生の勉強になった。一生忘れない。

 三宅くん、会の運営にお力添えくださったみなさま、会にお越しくださったみなさま、本当に本当にありがとうございました。そして、三宅くんのこれからの活躍を祈っています、祈るだけでは到底足りないですが!!

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