美しい人たち

美しい人たちを見た。二本の脚で立って、喉を震わせて全身全霊の表現。決して過去との決別ではないのだと思わせてくれるような口元と、そしてなお未来へと標準を定めた眼差し。
「生きてやる」という何かへの怒りじみた志が籠っている言葉の端々。
「生きている」ということを救い上げるように残像を示す手足の隅々。

傍から見ていれば、何にそこまでの怒りを抱いているのかと思うのかもしれない。ただ向かい合えば、その美しい人たちが何を抱き、何に開かれているのかを感じることができる。決して分かり合うことのない他者同士なのに、そのエネルギーにあてられた人々は手足を動かすことを諦めなくなる。

表現者としてのその美しい人たちは向かい合う人を順番に拾い上げていく。
ただただ閉じこもっている環境にだけ光を与える、そんな閉鎖的な決意で生きていない。そして何より、その美しい人たちは、自分たちが光を与えられることを知っている。
何かに光を与えられて生きてきたから、自分たちが与える光の色を知っている。その性質を知っていて、その効果を知っている。
だから、手足の隅々、肺、喉、髪の毛先にまで宿る。

何が起きても、両の脚で立ち上がることを止めない。膝を抱える夜も、先を見据えることを辞めない。
止めて、辞めてしまいそうになるその瞬間を抱いて捨てて無力感を脳裏に住まわせながら前を向く。
与える光の効果を知っていて、だからこそ浮かび上がる掬い取れなかった実像を忘れないまま、走り続ける。

こんな美しい人たちが生を漲らせながら、生きている。
だから私は、そんな美しい人たちを描いていきたい。創り出す中に、美しい人間を生かしていきたい。生み出して、呼吸をさせたい。
あなたのことは分からないけれど、全く分からない人よりも分かる。そんな美しい人を描きたい。

私の知っている美しいあの娘も、あの人たちも、美しく描きたい。
美しいは醜くて、綺麗は汚いような、そんな人を生み出していきたい。
創作の意欲が尽きるまで、私の知らないけれど知っている人間を。



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