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雨粒の中

「本日ハ晴天ナリ」だなんて、嘘ばかりだ。
何日も晴れた空なんて見ていない。空を眺めれば雲ばかり。そして降るものは雨ばかり。
肌にまとわりつく湿気が不快だから外に出たくない。
生ぬるい風に吹かれても気持ちよくなんかない。
そもそも私はあの雨に濡れた街の醸し出す香りが嫌いだ。カラッとしていてほしい。
雨の日は本屋に行こうと思っても、躊躇する。傘立てに傘を置くと盗まれるし、だからと言って濡れた傘を持って本屋に入りたくない。
服屋もそうだ。商品が並んでいるところに入りたくない。だから雨の日は行くところが無い。
電車ももわっとしている。
ただ、大きい窓がある部屋でずっと雨を眺めているのは好き。
だから私が学校にいる間くらいはいくらでも降ってくれて構わない。
降り続ける雨を眺めているのは悪くない。
授業中の暇つぶしになるから。

宇宙について考えてみる。よく「誰かが創ったモノ」とか「所詮この世は誰かの頭の中の妄想」とか「その妄想のなかで生きているだけ」とか言うけれど、同じことを雨粒にも感じる。
この世界が誰かの頭の中で、シナリオライターがいて、その結果いま私はこうして指を動かしているとすれば、あの雨粒のなかには何かがあってもおかしくはない。
小さな水のなかに広がる無数の物語がそこにはあるはず。
そして地面や建物にぶつかって、その物語は四散する。無かったことになるのではない。弾けて飛んで、広がっていく。
誰かが創ったこの世界で、誰かが思いついた雨というシステムがあって、そのシステムのなかにも誰かが主役の物語は潜んでいる。
誰もが主役になりえて、誰もが書き手になれる。そんな物語も雨粒のなかには潜んでいる。
その雨粒を全身に浴びて、物語を摂取する。
本当ならば裸で浴び続けたいのに、誰かが法律を決めてしまったから、雨のもとで裸になることはできない。
許されるのは雨の日の露天風呂くらいだろう。
でも、素肌に触れる雨粒も、こうやって考えたら愛せる気がする。
肌にまとわりつく湿気も、四散した物語の残滓だと思えば隣にいられる気がする。

続く雨の日に嫌気がさして、そんなメルヘンめいたことを考えても、靴下は濡れて不快になるし、ブラウスは透けて嫌になるし、髪の毛は唸って面倒くさい。
結局、雨は雨。
今の時代にこいつと上手くやれる自信が、私には持てない。
誰かが思いついてしまった雨というシステムに、振り回される登場人物。
大人になった頃には、もう少し上手くやれるようになっているだろうか。
雨粒に潜む無数の物語を夢見て、ため息と共に出かけよう。
雨だって、私は愛したい。


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