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SNSに時間を溶かされて絶望した時の対処法

ここ最近課題が忙しく、noteの更新が止まってしまった。
今日は短めで言いたいことをずばっということを目標にしよう。

つまりSNSって結構私たちにとって毒だったりしますよね、という話。
気づけば、2、3時間と時間を溶かし、あーまたやってしまった、と絶望。

特に短時間の動画の方がスワイプする欲を掻き立てられる気がする。
あと、特に見ようと思ってスマホ開いたわけではないのに、気づけば捕まってる受動感が特徴だと思う。

私が思う毒を分解すると、主に二つの要素。
1特に何かを学んだ(得た)わけではない、空虚な時間による脳への影響
2無駄な時間を過ごしてしまったと自己を責めることによる脳への影響

1に関しては、個人的に早めにぼけそうという危機感です。一定のぼーっとする時間は生きる上で必要だと思うのですが、スマホを触っている時間って体は休憩してるかもだけど、脳はずーっと考えるわけではなく、でもいろいろな情報を受け取り、感情部分だけを揺らされる。終わった後、何見てたっけ?スマホ開いたけど、何を調べるつもりだったんだっけ?この感覚が時々怖くなる

2に関しては、勉強しようと思ってた時間、運動しようと思ってた時間、もうその時間は戻ってこない。自分のコントロール能力の弱さを責める。
スマホではなく、扱いきれてない自分を責めているところがポイントです。

そして最近の対処法。
それは
「SNSで溶かした時間、自分は何を見ていたのか、何を感じたのか、思い出してみる」。

この効果としては、
思い出すことで1のボケそう!を防ぐ
感じていたことを思い出すことで2の自己を責める気持ちを、ああ意味のあったことだった、と転換できる、です。

例えば、
「確かインスタでこんなおもろいリールを見て笑ったな。」「youtubeでこういうの見て感動したわ」

とか。
多分ですが、辛い毎日を生きている人にとっては、SNSに癒しの役割があったり、逃避せざるを得ない部分があるのです。だから、笑ったり、感動した感情は無駄ではない。少なくともそう思う方が、時間溶かしたと嘆いてスマホの画面を閉じるより、幸せだと思うのです。

もちろん、溶かす時間を減らしたり、目前の現実問題を解決するのが根本的には良い、という意見もあると思いますが、
自分を責めて、責めすぎて自分の人生を自分の手で終わらせるよりは、一時の安全場所としてゆるい動画を見たりするのは当然の行動だと思うのです。(わたしの経験から)

そしてこれを読まれたかたの、良き現実の人間の助っ人さんが、1日も早く見つかることを願ってます。

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