「自分には何もない」いつも何者かになりたかった

こんにちは、未織です☀️

今日は昨日の続き、小学生時代のことです。

「私は何者でもない」

これは、私が小5くらいのときに
母にむかって実際に言った言葉です。

私は勉強はできるけど、
それはあくまで学校のなかでだけ。

中学受験するわけでもない。

クラスには、
御三家を目指している子や、
塾で好成績を取っている子、

サッカーができる子
ピアノが弾ける子
絵が上手な子

運動神経の良い子
鬼ごっこで活躍する子

周りに人が絶えない子
みんなに信頼されてる子
みんなに「居たらいいな」と思われてる子

私からすると、
みんなにそれぞれポジションがあって、
それぞれのできること、良いところをもってて、

私だけが、何ももってない


みんながテリトリーをもってるなかで
ぽこっと一人だけ浮いてしまったような、

心もとなさ、寂しさを
常に感じていました。

だからこそ、
少しでもこれはアピールできるかもと思ったものは
全力でアピールして周りました。

テストの点
通信簿の「よくできる」の数

私だってすごいでしょ?
みんなと張り合うものがあるでしょ?

わずかな優越感と
強い強い劣等感

どんな者になりたいかではなく、
とにかく何者かになりたかった。

確かな足場が欲しかった。

そういう動機で手を出した趣味とかって、
大抵自分のものにならないんですよね。

あの頃あんなことやってたなって思い返したときに
今の自分に残っているものが何もない

逆に、
強い好奇心に従ってとことん調べたことや、

豊かな想像力を使って書いた物語、

作品の世界にのめりこんで
すごいスピードで読み漁った小説たち 

負けず嫌いさが活きて極めたあれこれ

など、

自分が何者かとか、
自分がやってることが人より偉いかとか、
どんな評価をされるかとか、

そんなことを差し置いて
ただ活き活きしてやったことは、

今にも活きている。

こうして思い返してみると、

私の子ども時代は、
優越感と劣等感の間で揺れ動き、
友達がうまく作れないふわふわした寂しさに
常に苛まれながら、

好奇心や想像力を存分に発揮して
好きなことに没頭することで、

自分を好きでいられたんだな、と思います。

今日はこの辺で…

☀️未織☀️

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