胸が締めつけられるような瞬間の在りかを求めて
これが大人になるということなのかと。
今を生きるZ世代だから感じる悩みではなく、昔から存在していた「大人になること」について考えたい。
先日、昔からつけている日記をふと読み返すと、感情の起伏の激しさに驚いた。
「今日は学年集会で◯◯くんと目があって嬉しかった!そんなことより明日の小テストめんどくさいなあ…」
「サークルの先輩の就活大変そう、、、わたし来年大丈夫かな、そもそもわたしがしたいことってなんだ?」
みたいなかわいいことも書いてあれば、
後輩の女の子に裏切られて当時好きだった男の子を奪われて雪降る夜に家を飛び出し、恋愛の沼の底に落ちた経験とその時の細かい心情が徒然と書き連ねてあったり。
ディズニーランドに行く日の前は決まって寝れなかったし、がむしゃらに勉強した大学受験の記憶だってまだ新しい気がしている。
それなのに、
一方、24歳のわたしはというと。
20歳前後で感じていた心躍る喜劇の主人公のような気分はもちろん、体調まで悪くなるようなしんどすぎる絶望、も感じられないという現実がさみしい。
結局は「青春」をまだまだ感じていたかったのに、気づいたらもうそれは完璧な思い出になっていて、手を伸ばせど、記憶をたぐり寄せど、「二度と戻れない」現実がとんでもなく悲しい。
良くも悪くも未来に希望を抱いて、「『日本の未来はWowWow』って歌ってる時代に行ってみたーい!(笑)」なんて言いながら安酒を浴びるように飲んでた頃にはもう戻れない、ということではなく。
学校という狭い空間、地方都市という限られた土地、その中で精一杯楽しんで、毎日がむしゃらに過ごしていた日々はもう帰ってこないことがやるせない。
中学校を卒業するとき恩師に言われた言葉がこの歳になって理解る。
「今日を最後にもう会わなくなる人もいるからね」と。
少なくとも3年間同じ空間で過ごしたのに、今はもう何してるかもわからないし、それは高校だって同じだ。
もしかしたら何かの間違いで過去にタイムスリップしちゃったりして!と本気で思っていたお花畑な時期もあったけど、もうこの歳になるとそんなことないことくらいわかってしまう、認めたくないけど。
そんなサプライズあってほしいけど。
きっとこんなふうに悩んで悲しんでいることも10年後のわたしは「若かったな(笑)」って、ふって、笑えるんだろうか。いっそ笑っていてほしい。
20代、あの頃と変わらず一生懸命生きているのに、手のひらから砂がこぼれ落ちるように日々があっという間に過ぎていく。
こうじゃないこんなはずじゃないと思って毎日過ごしているのにあっという間に毎日が過ぎていく。
毎日一生懸命仕事して、大都会でたくましく生活してるのに、なのにどうして、どうして、どうして毎日が確実に激しい感情の揺さぶりもなく、黙々と過ぎていくのか。
大事にしたかった記憶、忘れたかったはずの恋、思い出したくない出来事、そんな思い出も今では全てが愛おしい。
だからこそ、1日でも時間が過ぎる前に、少しでも覚えているうちに全ての過去を脳の消せない黒板に記しておきたい。
でも、激しい感情にならないということは、今が幸せで、安定して、落ち着いている証拠なのも本当はわかってる。
明日は東京は雪らしい。雪にまつわる記憶なんて山ほどあるけど、家で大人しくしておこう。
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