『秋』という余白
私にとって秋という季節は、比較的ゆっくりしていて、例年の秋を振り返ってみても特に印象的な出来事はない。何故そうなったのか疑問だった。
ある日の帰り道。深夜二時半頃だった。人肌が恋しくなるような寒さを感じた時に、過去の恥ずかしい出来事を思い出して暖をとれるのではないか、と思いついた。
片側しか聞こえないイヤホンをさして、
『ばらの花』を聴いた。写真を見返し、忘れていることすら忘れていた出来事を思い出した。
例えば、いつか振り返った時に後ろめたいと思うような出来事すら、真面目にこなせた冬。強い刺激を求めて、あえて逆方向へ歩いた春。必然的な出会いを運命だと信じてしまいそうだった夏。
どの季節の私も、今よりは遥かに無敵だった。普段は言えないようなクサい台詞を面と向かってぶつけた。まるで夢の中にいるようだった。どれもしっかりくすぐったい。自宅に着く頃には、身体の芯が熱かった。本当に記憶から暖がとれた。
秋の半ばに感じ始める肌寒さ、秋晴れの元で受ける陽の暖かさ、映画を観る、音楽を聴く、本を読む、そこから掘り起こされる感情、「メンタル・タイムトラベル(心的時間旅行)」。曲を聴いて懐かしいと感じたり、切なさを感じる。そんな時に湧いてくる、感情をくすぐったいと感じる。
実際にこのくすぐったさからうまれた言葉が沢山あった。しかしこれは、何度も繰り返すと徐々に薄れるようで、私は鮮度を保つ為に同じ曲をリピートしないようにしている。
秋というこの季節は、『冬』『春』『夏』の自分を客観的に見返せる必要な余白で、わざとはっきりとした記憶を残さないようになっているのかもしれない。
そして思い出そうとしない限り、思い出せない出来事があった事に気がついた。写真にも残さず、今でも忘れているあの瞬間たちはどこへ行ってしまうのだろう。
五感と記憶がつながり、あの瞬間たちが私に会いにくる時を気長に待とうと思う。そのタイミングが秋ではなくても良いように、どの季節にも余白を残しておきたい。
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