ロックが導くマイトレイン
激しいドラムやギターにパワフルな歌声と1つの熱狂の嵐を作っていたのは、確かだ。
その時の1つ1つの音は何ひとつ覚えていない。
記憶にあるのは、(約)50000分の1の豆粒として叫び飛んでいたこと。
言いたいことを言えば、あーだこーだと叩かれる。
そんな世の中を支配しているのは、愛でも誠意でもない。
ケンリョクに溺れたオジサマたちが作ったオキマリやオヤクソクに、異論を唱えないことがフツウとみなされる。
敷かれたレールを少しでも外れた者には、冷ややかな視線が向けられる。
フツウの仮面を被る人も被らぬ人も、生きづらさを押し殺しながら、静かに生きる。
どうして納得できないことにコントロールされなければならない?
どうしてパワーが絶対視される?
どうしてケンリョクは見捨てるの?
社会のよくわからない「おかしい」っていうヤツに振り回されながらも生きている人たちの声を。
そうじゃない、、、
理想郷なのは分かっている、分かっているさ。
どうせ誰かがいくら叫んだって、書いたって、訴えたって、社会はそこまで良くならない。
だけど、おかしいことくらいおかしいって言っていいじゃないか。
そんなことを日々抱えながら悶々と生きていた。
不器用に、ジコチューに生きてきた。
感謝と思いやりの心を持ちながら、
誰にも迷惑をかけないように。
その思いが全て発散されたような3時間×2日だった。正解も間違いもない。
ありがとう、ONE OK ROCK.
私みたいに地味で変わったヤツでも、密かにロックに生きちゃえ!
嘲笑われてもいい。
馬鹿にされてもいい。
おかしい!って思ったことの答えを探し続けよう。
答えなんてどこにもないかもしれない。
それでもいい。ひたすら走っていこう、自分で敷いたレールの上を。
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