見出し画像

【休職日記】誰かの幸福を祈るということ

生理だ。

最近はいつもこのパターンだ。4時頃に目覚めて二度寝して、8時頃からもぞもぞ布団の中で動き出す。会社の夢を見た。時間が経ってしまって、もうよく覚えていないが、胸の中が葉音のようにざわざわする感覚だけは覚えている。原因はわかっている。昨日、会社から正体不明の封筒が送られてきたからだ。会社から連絡用にと言いつけられている社用携帯を、休職して以来確認することができていなかった。もしかしたらそこに連絡が入っていたのかもしれない、それを無視していたから沸を切らして郵送で連絡してきたのかもしれない。そういう嫌な妄想は得意分野だ。目覚めてからもあの封筒のことが頭から離れず、布団の中の安全基地に篭って怯えていた。久しぶりに心臓の痛みも再発し、ストレス量を自ら限界突破させたところで、えいや! で動いてしまった。

携帯を見る。何も連絡は入っていない。封筒を開ける。健康診断の結果の返却だった。

くっそーーーーーーー!!!!!心配して損したーーーーーー!!!!!!と早朝からTwitterで一人大騒ぎし、再びぬくぬくと安全基地に戻った。ちなみに健康診断の結果はまるで健康そのもの、BMIは理想体型の19台、水原希子と同レベル、それならこの贅肉たちは何なのだろう。と呑気に自堕落な体型に思いを馳せつつ、今日は心療内科に通院の日、10時に動き出して風呂に入れば十分間に合うだろう、と思ったのが9時半頃。ちょうど30分くらい時間があるし、アマプラで「きのう何食べた?」のクリスマス回を見てシロさんの言葉に軽くうるっとくるくらいには余裕だった。予定通り10時頃、文鳥の餌と水を替えてあげたあと、風呂に入る前に寄ったお手洗いで、異変に気付いた。

鈍痛。その正体をわたしはよく知っている。最初に出会ったのは12歳の時だったか、もう人生の半分を共に過ごしてきた。生理だ。

気付いた途端、呻き声が堪えきれなくなった。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い以外の言葉が出ない。冷や汗と鈍痛、鈍痛、寒気、寒気寒気寒気、下痢、痛い、寒気、鈍痛。お手洗いから逃げるように飛び出て常備している薬をカバンの中のポーチから震える指先で探り当て、一番近くにあったショットグラスで飲み干す。水の量が足りなかったのか、二錠の薬の一個が喉で引っかかっているようだったがそんなことよりも痛い、痛い、寒い寒い寒い、痛い、寒い、あああああたすけて、ロフト上の布団に駆け込み寒気に震える。

文鳥がわたしの異変に気付き驚いたようで一瞬鳥籠の中をバサバサ飛び回ると、心配そうに「ぴ」「ぴ」とわたしを呼んでいる。だいじょうぶだいじょうぶだよと呟きながらも寒い寒い寒いと叫ぶことしかできない。どんなに毛布を被せて外側から温めようとも寒気は肌の奥の肉の奥の骨の奥から溢れ出してくるので意味がない。泣きながら呻いて、呻いて、とにかく熱いものを手に入れなければならなくて、無我夢中でロフトを駆け下り再度お手洗いに篭ったあと浴槽に直行した。服を脱ぎ捨て震えながらも熱湯を浴びても意味がない。それでも布団で凍えるよりまだマシだ。痛い痛いいいあああ痛い寒い寒いあああ寒い、腹にシャワーを浴びせると肩が寒くなって肩にシャワーを浴びせると脚が寒くなって脚にシャワーを浴びせると腹が寒くなる。もう何ヶ月も使っていなかった浴槽の栓を落とした。熱湯を浴びながら、どうにかお湯が浴槽に溜まっていくのを待った。それでも病院には行かなきゃ、頭を洗わなきゃ、また何日も風呂に入れていなかったのだから、気持ちだけが焦りながらも寒気と鈍痛で何もできない。浴槽の中で体育座りになって下腹部が浸かる程度に湯が溜まっても寒気と鈍痛は止まらず、それに経血も出てこない。病院のことはそれでようやく諦め、浴槽を出てお手洗いに駆け込み、それでも出てこない経血を憎みながら泣いた。なんでわたしのなかでグズグズとろとろ滞りやがって、ぶっ殺す、そんなことを考えながら太ももにぽたぽた涙が落ちた。震えながら服を着て再度布団に戻り、また寒気寒気寒気鈍痛鈍痛鈍痛、死ぬ、動けない、寒い、何もできない、恐ろしくて凍えていた。

枕元に転がるiPhoneを手にできたのも布団に潜ってから数十分経ったあとで、「生理痛で119していいかな」「いたい」「たすけて」そんな内容をぎりぎりの理性でTwitterに打った。本当に助けを願っていた。助けてほしかった。今すぐこれをどうにかしないと死ぬんだと思った。(でもわたしはこの言葉の裏で本当はもっと欲深いことを考えていたとあとから気がついて、絶望した。)

SOSを出してしばらくして、懇意にしてくれている先輩から#7119に相談してみることを勧められた。電話はすぐに繋がった。最初に出たのは男性だった。「緊急ですか、相談ですか」みたいなことを聞いていたような気がする。「体調の相談で」と震える声で伝えると、電話は看護師の女性に代わった。症状を詳しく聞かれたが、錯乱していて聞かれた内容はやはりよく覚えていない。途中住所を聞かれた際、自分の住所が何丁目なのかど忘れしてしまって焦ったことはかろうじて覚えている。とにかく言われたことに素直に答え続けていくうちに薬が効いてきたのだろう、徐々に鈍痛は治ってきて、そのことも素直に伝えた。結果、緊急性はないので症状が楽になってきたら産婦人科に行くことを勧められ、お住まいの近隣の産婦人科の連絡先をお教えできますかどうしますか、と聞かれ、素直にその通り連絡先をメモした。最後に「こんな状況下でお忙しい中すみません」と謝ると、それまでキビキビと応対していた女性が口調を崩して明るく「大丈夫ですよ!」と気丈に答えていた。

気力があるうちにと、すぐに心療内科にも電話した。キャンセルは簡単で、お大事になさってくださいねといつもの女性が応対してくれた。それから心配してくれていた友人のラインを返し、倒れた。倒れる中で、じんわりと骨の内側から熱が戻ってくるのを感じた。どれだけ眠ったかわからない。眠って、起きて震えて、眠って、起きて震えて、を繰り返しているうちに、16時頃になっていた。ぼーっとしていると、先輩から電話がかかってきた。思えばTwitterの最後の投稿を「だれかたすけて」のままになって放置していた。心配してくれた先輩に礼を言って、それでようやく意識が覚醒してきた。けれど布団から起き上がる気力はなくて、文鳥と遊びながら「きのう何食べた?」の続きを一気見していた。少し動けるようになってからレンジで温めるだけの冷蔵弁当を食べた。そしてまた眠って、起きて、を繰り返していると、19時頃になっていた。

虚しくて、なぜか泣いた。

20時頃、電話が鳴った。一瞬何かを期待した自分がいて、醜くて恥じた。親からだった。

文鳥の誕生日アルバムが届いたとの連絡だった。素敵だったわよ、という内容と同時に「あんなこと書いてあったら心配するじゃない」「こっち帰ってきなさいよ」と言われた。そういえば、文鳥を迎える前に自殺未遂をしたことをアルバムに載せていた。親はそのことを随分重く捉えてしまったようだった。母親が密かに涙ぐみながら話すのをどこか下らなく思ってしまう間に、電話口は父親に代わっていた。父親とは会社とのやりとりの話、金銭面の話を主にしたが、やはり母親と同じく「こっちには帰ってこないのか」と強く言われた。それから「新しく向いてる仕事を探したらどうだ」と言われた。「どう仕事と向き合っていくかは、お医者さんとペースを相談しながらやっていくから」とそこははっきりと答えることができた。電話の向こうが感情的になればなるほど、わたしの気持ちは冷めていた。冷めきった心で電話を切ると、わたしはある人のことを思った。

しばらく、迷った。いや、本当は朝からずっと迷っていた。詳しいことは、まだ書きたくないから書かない。迷って、少しだけメッセージを送った。何が言いたいのかもまとまりきらないまま。少しだけやりとりがあって、向こうの事情を知って、そっかじゃあやめとくね、で終わった。かける言葉をまた間違えたな、と思いながら、目を閉じた。

むなしい。

たくさん優しくしてもらった。たくさんの友人に迷惑をかけた。こんな迷惑ばっかかける人間とよく付き合い続けるなと心底思う。こんなによくしてもらっているのに贅沢だ。我儘だ。なのに自分一人でぐるぐる考えて、ああだのこうだの、自分のことしか考えられていない。

悔しい。

数年前のわたしならどうしていただろう。自信に満ちて、自分のこと冗談まじりに神かもしれん、とか言ってた頃の生き生きとした自分なら。あの頃の自分が心底羨ましい。あの頃のほうが人の役に立てていた。自分を大事にしながら、人のことも大切にできていた。今のわたしはそのどちらもできない。自分を傷つけ、他人の迷惑になることしかできない。悔しい。どうして昔できていたことが、今できないんだろう。あの頃の自分なら、あの子の助けになれたんだろうか。とか、あげる、あげる、ばっかりなところがわたしのだめなところだ。あげるのは、欲しいからだ。ほんものの優しさではない。ほんものの優しさっていうのはさ。うつくしいものなんだ。ほんものの優しさっていうのはさ。ほんものの優しさっていうのはさ。

ほんものの優しさっていうのはさ、誰かの幸せを心の底から祈れることだ。

画像1

駅から会社への通り道に神社があった。なんとなく呼んでいるな、と思った時にふらふらと向かい、よくお祈りをしていた。二礼二拍一礼、それからぶつぶつと神様に話しかけていると、その時の自分の素直な欲望がわかってくる。本当に絶望している時は「たすけてください」しか出てこない。Twitterを見ると辛くなっていた時期は、「人とつながりたいです」って言葉が出てきて驚いた。そうか、わたしは一方的に助けて欲しいんじゃなくて、双方からつながりたかったんだ。

でも、今もしあの神社で祈ったとき、わたしの心からどんな言葉が溢れてくるだろうか。いたい? たすけて? さむい? さみしい? こわい? そんなの、全部エゴだ。

ほんものの優しさっていうのはさ、誰かの幸せを心の底から祈れることだ。

今のわたしにそれができないことが、本当に本当に、悔しくて仕方ない。

はやく立ち上がらなければいけない。はやく、ひとの幸福を心の底から祈りたい。

よろしければサポートをお願いします!頂いたサポートは書籍購入代とコーヒー代として使わせていただきます🥰