時間と労力
学校とは今後どのような場所になったらいいのかを考えていきたい
今回は前横浜創英中学・高等学校長の工藤勇一さんと株式会社植松電機 代表取締役の植松努さんの対談記事である
工藤勇一さんが学校改革に必要な2つのことを述べている
一つ目は子どもの主体性を奪わないこと
二つ目は、主体性を取り戻すこと
人は与えられ続ければそれが当たり前になり、与えられなくなると不満を抱き文句を言う
手取り足取りこちらが手をかければかけるほど受け身になり、主体性を奪っていく。主体性を奪われた子どもは大きくなればなるほど主体性を取り戻すのに時間がかかる。
自分の授業は生徒の主体性を奪ってはいないだろうか?
学習のゴールを達成するために手をかけすぎてはいないのだろうか?
ある研究会の授業を見た時に、授業後の先生方の話し合いの中で
授業に対してのかなり厳しい意見が飛び交っていたことがある。
教材に対しての考え方の違いだけであったのだが、
今考えるとそんなことは誤差なのである
そもそも今回の授業でも参加しているように見えて全く学んでない生徒もいた(内容が理解できない、集中できていないなど)
要するに、主体性を奪わないために学習環境を整えることが私たちが力を入れなければいけないことではないだろうか?
あの狭い教室空間は音や光に敏感な生徒にとって適切なのか?
机の高さがあっているのか?
雨の音が気になってしまう生徒が窓際にいることがいいのか?
九九ができない生徒が難しい計算をしなければいけないのか?
読むのが苦手な生徒が教科書を読まされるのはいいのか?
提出物を出さずに怒られるのは適切か?
生徒が主体的に取り組む環境をどうすれば作ることができるのかを考えることが授業全体の満足度を上げ、結果として学びやすい環境ができるのではないだろうか。
教員の仕事は様々なものがあるが、ふと立ち止まって、誤差(ポカリとアクエリアスくらいの)の部分に多くの時間を使ってはいないのだろうか?
自分たちの時間と労力をかける場所を本当に考えないと、この沈みかけた船に乗っている人たちは「そのまま溺れる」か「早めに降りて別の船に乗る」と言う決断をしてしまうのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?