王様の耳はロバの耳。
おはようございます。Mariです。
今日はちょっと昔の話をしようかなと思います。
15年程前23歳くらいのとき、私は大学院を中退しました。
中退するまでのおおよそ半年間、学生生活には、統合失調症特有の症状が顕著に出ていました(振り返ればわかることで、当時は病識が全く無かったです)。
例えば、レンタルビデオ屋に貼ってあるポスターは自分をモデルにして撮られているといったものや、私の生活は常に誰かに見られている、といったものです。他にも、私は天皇の後継者だ、とか本気で思ってました。
正式に病院を受診し統合失調症の診断が出るまで10年くらいかかりました。私の思考、何かがおかしいんじゃないかとも思っていましたが、病気だとは気づかないまま過ごしていました。
大学院は宮崎県にありました。退学したあとは宮崎県に残ってバイトを2つ掛け持ちしてフリーターとして2年ほど働きました。
今はやめていますが、その頃始めたのがtwitterです。twitterがまだ出回り始めた頃で、つぶやきが、ネット上にテキストでリアルタイムに反映されるところに面白さを感じました。夢中でした。
ただ病気の状態で幻覚の世界と現実社会の区別がつかぬままの使用だったので、ひどいものでした。日常生活はダダ漏らし、両親に対する不平不満、自分が有識者になったかのような感覚で投稿する的外れなつぶやき。
1日100ツイートを目標にしており、今考えるとちょっと意味分かんないです笑
ですが、精神状態がどうであれ、私の本質は、文章を書くのが、苦にならないのではないかということです。症状が落ち着いた今でも文章で表現したい気持ちは続いているので、100%病気のせいで日常生活をダダ漏らししてたというわけでもないのかなと思います。
昔はPCだったのですが、今はもっぱらスマホです。15年たった今でもSNSの持つ魅力は消えてないです。
当時は病気のため、精神状態が普通ではないといった事も影響しているのではないかなと思いますが、両親との関係はよくなかったです。
2年ほどフリーターしてから、いったん実家に戻ったのですが、その時私は、書きためたツイートをプリントアウトして両親に見せ、このつぶやきで生きて行くんだと、ちょっと何言ってるか分からないですが笑、自分にできることで、しかも元手はかからないことで生きて行きたいという思いは当時からあったようです。
プリントアウトした私の稚拙なつぶやきに対して、まあ当然でしょうが父は「恥ずかしいから、やめてくれ」といいました。
今は症状が落ち着いているので、両親との関係は良好なのですが、父親に対しても母親に対しても、いい意味でも悪い意味でも顔色をうかがうようなところがあります。
今日、何が言いたかったかというのは、地元に戻って両親との関係がよく、SNSから離れ、落ち着いた日々に変化が訪れているということです。
世間体が悪いので、口を閉じてさえいれば、なに不自由なく平穏に暮らせる状態なのに。わざわざ、批判もありえるネットの世界にまた戻ってくるってどういうこと?
私という存在がどのようにかたち作られ、今何に悩み、何を考え、どんな時に幸せを感じるのかといった事を、文章で表現する。
病気のせいで気が狂っていたからではなく、私の本質は表現したがっていたのではないのか?ということを考えています。
地元は、近所の人との距離感が近く、誰がどこに住んでいて、仕事や家庭環境、近況などはおのおのが把握しているようなところです。
まだ若くて、精神疾患があり、働いておらず、結婚もしておらず子供もいない、生活保護を受けているという事は、自分から言う事ではないと釘を刺されていました。特に田舎では、精神疾患があり、生活保護受けていると知られたら、なんと言われるか分からない。そのうわさが広まれば、人生の汚点で一生後ろ指をさされる、そういう解釈をしています。あとは、結婚や子どもがいないことに関しても少数派なので、あまりいいイメージはないのかなと思います。
宮崎県でのフリーター時代に病気の状態ではありましたが、ネットを通じて世界中(まあ、日本語なので、厳密には違うかなとも思いますが)に向けて発信する事の面白さがやめられない。
15年たった今、私は、またネットの世界に戻ってきてしまいました。「王様の耳はロバの耳」だったのです。
まあ、書きたい対象が他人の秘密ではなく、自分の社会的に見て、言わないほうがベターな内容なので、厳密には違うかもですが。
今日の話は、ここまでです。ご清聴ありがとうございました。
本日も皆さまとって良い1日でありますように。
Mari
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