はじめまして。 現在2児の子を育てるRIMです。 下の子は、生まれてすぐに新生児スクリーニング検査でリファーとなり、その後、聴覚障害と診断されました。 紆余曲折ありましたが、「日本手話」での子育てを選択し、 今は小学生、学校生活を楽しんでいます。 このnoteでは、そこに至るまで、どうして「日本手話」を選択したのか。 選択したことによってどうだったか、など、 書き留めていきたいと思っています。 目的このnoteの目的としては、聴覚障害と診断されたあとに、「日本手話」への選
週に一回のグループ活動が始まった。 人見知りすぎる私にとって本当に疲れる時間。 もうこの頃の記憶も曖昧だったりするので、 覚えている限りのことを書き出します。 口話中心の学校まずは口話中心の学校ではどのようにしていたか。 基本、子供を自由に遊ばせたあと、ピアノなどを使ってリトミックのようなグループ活動をして、絵本読み聞かせ、1週間の子供の様子を一人一人発表して、先生の話、終わり。 お昼ご飯は、任意なので、持ってきて食べてもいいし、帰ってもいい。 ただしお弁当は買ってきたもの
ABRの検査結果右が99dB、左が75dBとの検査結果だった。 レントゲンで見る限り、内耳の形の異常は見られない。 重度難聴、高度難聴と診断され、障害者手帳の発行の手続きへ。 同時に同県のろう学校を2校紹介され、とりあえず1番近いろう学校の乳児相談へ。 夫は何やら連日、本を買い漁りひたすら調べている。全部難聴に関する書物だ。 私はネットで難聴者のブログを見たり、聞こえない子の子育てややるべきことを漠然と探し始めた。 2つのろう学校家から通いやすい、なんて安直な考えだけで1校
第二子誕生出産は一人目のときに緊急帝王切開だったため、予定帝王切開だった。 でもお腹のハリがひどすぎて切迫早産のおそれがあると、入院。 ギリギリ大丈夫な周期で出産と相成り、第二子の誕生。 二人目だからある程度の勝手はわかる。 しかし・・・・ 母乳もミルクも飲めない?!母乳も準備万端。しかし、飲まない。 と言うか吸えてない。 なんで?と助産師さんも焦る。口の中を覗く。これは・・・・ 後日医師から、「口蓋裂」の診断を受けた。 喉の奥に穴があいていて、そこから鼻へ空気が抜けてゆく