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診断とろう学校

ABRの検査結果

右が99dB、左が75dBとの検査結果だった。
レントゲンで見る限り、内耳の形の異常は見られない。
重度難聴、高度難聴と診断され、障害者手帳の発行の手続きへ。
同時に同県のろう学校を2校紹介され、とりあえず1番近いろう学校の乳児相談へ。
夫は何やら連日、本を買い漁りひたすら調べている。全部難聴に関する書物だ。
私はネットで難聴者のブログを見たり、聞こえない子の子育てややるべきことを漠然と探し始めた。

2つのろう学校

家から通いやすい、なんて安直な考えだけで1校しか見学に行かなかった。
教育熱心なママさんなら「なんて事!」と怒るかもしれないが、
2歳違いの上の子もいるし、
ちょうど自分の母も亡くなったばかりで、他に平日に頼れる人なんて居ないわけで、
やはり、「通いやすい」というのは重要な要因の一つでもある。
ちょうど夏休み期間だったため、ふだんの活動は動画で見せてもらい、色々話をしていただいた。
そしてそのまま通う事に。
ろう学校へ通うことが決まってすぐくらいに、
夫から本を渡された。
「ここの部分だけ読んで」
言われた通りに本の一節だけ読んだ。
そして、
「ここにあるように保険をかけておきたいから、この学校にも見学に行きたい」
と言われた。
読んだ一節の内容は忘れてしまったが、確か「母語」に関する話だったように思う。
「口話」1本だと「母語」が育たないかもしれない。だから「手話」も必要だと。
見学に行きたいと言われた学校は、
日本でたった1校しかない、「日本手話で教育をする学校」だった。
どうやら、夫は「聴覚障害」に関連する本をひたすら読みまくり、
その中で、まず、日本手話で教育をさせたい親が建てたフリースクールの情報にたどり着いた。
そこから現在はどうなっているかと調べたところ、私立の学校として設立され、乳児相談もやっているというところに行き着いたらしい。
私は訳も分からず、見学に連れていかれたのである。
※後に聞くと、フリースクールの情報からたどってきた人はホントに珍しいらしいw

日本手話との出会い

8月の終わりくらいにその学校の乳児相談へ連絡をしたが、こちらも夏休み中の為、実際の活動を見るべく、9月の見学となった。
夫と子供と3人で見学に行くと、聞こえる方が対応してくださった。
が、当然学校内は「日本手話」の世界。
通り過ぎる小学部の子供たちに「○△□◎◇?」と手話で話しかけられるも、初めて触れる言語を当然理解できる訳もなく、軽くパニック状態の私。
(そもそも人見知りのため知らない人たちと会うこと自体、冷静ではいられない質)
見学中、もっぱら夫は、案内してくださった方と小難しい話をしている。
私は手話も分からない、夫の話してる内容もよく分からない中、ろうの先生と自分の子供がやり取りをしているのをじっと見ていた。

目がおしゃべり

しばらく子供とやり取りをしていたろうの先生は、うちの子供の様子から、「目で会話している」と教えてくれた。
確かにうちの子は感情を顔全体で表しているような子ではあるけども、特に「目」と「眉毛」で感情を表現しているとの事。
ろうの子供あるあるらしいが、まだ手指が発達していない頃のろう児は、目と眉毛でおしゃべりしているそう。
聴者には見分けはつかないが、ろうの先生にはハッキリと気持ちがわかるらしい。
そしてその目のおしゃべりがうちの子は特にハッキリしている。この子は「ろう」だと。
それを聞いて、私は、
ショックを受けたり、
否定的な気持ちになる訳でもなく、 
自然に
「そうか。この子はろうなんだ」
と、受け入れたのだった。

夫からは「ここに通うために連れ添うのはRIM(私)。僕は通って欲しいけど、連れ添うRIMに決めてもらうでいいよ。無理もしなくていい。」と言われた。
私はほぼ何も分からず夫の考えてる先のことなんで想像できないポンコツだと自覚していたため、
二つ返事で通うことを決めた。
だってポンコツな私ができることは、
ここにも通って、少しでも子供にとっての選択肢を増やす事だから。

こうして2つの全く真逆のろう学校通いが始まったのである----(RPGのプロローグ風)

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