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不幸は幸福を感じる為の最高のギフトだった
不幸と呼ばれる中に幸せはあった。
そんなことに気づいた今日の話をしていきたいと思う。
私自身、何とか幸せを手にしようともがいて様々なことをやってきてる中、現在身体を壊していたこともあり、今回はずっと行きたかった宮古島に来た。
せっかく来たものの日々焦燥感と不安感の日々。
「せっかく来たのながらたくさん遊ばなければ」
「癒されないと」
純粋な動機よりかは、不足感が動機となっていることに気づいた。
そのせいか全く満たされていないことに気づいた。
そして、体調を崩した。
気づいた。
今この瞬間にもこんなに満たされているものがあるということに。
寝れる場所がある。
食べるものがある。
毎日シャワーに入れる。
今までは今この瞬間にあるもの、目の前のことを置き去りにして、空想の何か雲がかったものを掴もうとしていた。
けど、こうして、何もできなくなった今になって、今この瞬間満たされていることに気づいた。
本当の幸せとはこういうことであるということに。
今この瞬間満たされていること、これが本当の幸せであるということ。
幸せは掴むものではなく、気づくこと、感じるもの。
言葉にするとまた違うものになってしまう幸せ。
幸せという言葉にいちいちとらわれず、今この瞬間に満たされること。
この素晴らしさに気づいた。
全てのものが排除された時に感じることができると言ってもいいかもしれない。
一般的に身体を壊したりすることは良くないと言われがちだが、むしろ人間の本当に求めていたものに気づくきっかけになる最高のギフトであるとも感じた。
ありがとう。
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