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旅をしながら生活したい


絵や文章、翻訳などで食べていきたいなぁ。今はそれが目標です。

昔は単純にそれらが好きだからそれを生業にして生きることに憧れてた。

でも今はストレスを避けるためとか、体調が悪くなりながら自分の神経質さに目をつむりながら仕事に行く生活から脱したい、という切実な理由になってしまいました。

でもそれに加えて、やっぱり旅をしながら絵や文章を書いて生活したい、というのが一番大きい気がしています。

時間も場所も縛られない生活がしたい。

どこにいても画材(自分の場合はiPad)さえあればどこでも仕事ができる。

そんな生活がしたい。

ので、少しづつイラストの依頼受けたりしてこうと思ってます。

あとYoutube(歌ってみたとか弾き語り載せてます)の登録者もっと延ばしてそれも生活の足しにできたらなぁ。


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絵にしろ歌にしろ、作品を発表する人たちってきっと多くの人は有名になりたいとか、自分の作品をほめてもらいたいとか、好きになってもらいたいとか、もっといろんな人に見てもらいたいとか、そういう思いがあるものだと思うんだけれども


なんか自分は違って、その辺はあんまり重要ではないなって思ってます

もちろん褒めてもらえたらめちゃくちゃ嬉しいし、思ったよりいいね貰えたら舞い上がるけれども、そのためにやってるわけじゃない。

本当の事を言うと、上に書いたような生活がしたい、っていうことがメインです。

ずっと趣味で絵をやっていくつもりだったし、その絵の持ってるメッセージが通じる人とか、必要な人にとって意味のあるものになったりすれば役目を果たせるなぁ。と思ってたので、人に好かれようと好かれまいと自分にとって意味のある絵をずっと描いていこうと思っていた。

歌も、好きだと言ってもらえるとめちゃくちゃ嬉しいんだけど、

好きになってもらえなくても歌い続けるだろうし、自分で下手くそだなぁと思ってもやめることはできないと思ってる。自分にとって歌は泣くのと同じ事だと思ってるから。

泣くのは、いくらやめたくたってなかなか自分でやめることはできない。心の反応だから。

だから、自分の絵が有名にならなくたっていいし、歌が人気にならなくたっていい。有名になったって自分の価値が上がるわけじゃないし、人気がなかったら自分の価値が下がるわけでもない。そう思っています。

世の中では人間が自分の尺度で価値を量ってるから、その尺度は「有能さ」とか、「娯楽性」とか「生産性」みたいなものになってるけど

自分は、神様は全部の魂をもともと等しく尊いものとして作ったって思ってるから、この世界でどんだけぼろぼろになったって魂は愛されてるよ、と思ってる。うまく言えないんだけども

だから、絵や歌で評価されたり、仕事にしなくたって本当はよかったんだけれど

旅をしながら生活をしたい。

そのために自分は自分の表現を生業にしていくことを目指していこうと思います。







絵の勉強をしたり、文章の感性を広げるため本を読んだり、記事を書く時のカフェ代などに使わせていただきます。