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1人1人の命が輝く夏となることを願う

平成28年7月26日に、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負う事件があった。

今日は、あれから5年目の節目を迎えるちょうど1ヶ月前ということで、NHKが取り上げたようだ。そのタイミングの是非はともかく、亡くなられた方のご無念を改めて思い、冥福をお祈りする。

私達は日頃、身近な個人には意を払う。その存在をキチンと認識している。でも遠くの集団については、どうだろう?

集団は個人の集まり。けれど、集団は集団として認識しがち。このことには意外と意識が向かない。亡くなられた19人をまとめて犠牲者と呼ぶことはあれど、19人の1人1人にそれぞれの人生があったことは忘れがちになる。

このように属性でひとまとめにして考えてしまう癖は、自身の生存を最優先の目的とした人間の脳の情報処理法から来るもの。それ自体は是非に及ばず、ただその癖があることは意識すべきだと思っている。

これからの2ヶ月弱、普段であれば8月15日の終戦記念日に向けてメディアがさまざまな特集・企画を組む。そこで取り上げられるのは、生存者の経験談であったり、発見された新事実の検証であったりする。

これらは、それまでひとまとめ、更に言えば平板だった事実を個別レベルに掘り下げるもの。それにより当時の人達の生き様が息吹を伴って呼び覚まされ、個別具体的な営みとして我々に現実感を以て伝わってくる。

今夏は特に、オリンピック・パラリンピックが開催される。各競技でその枠を越えたドラマが展開されるだろう。それが感動を呼ぶのは、やはり脚光を浴びる個人の、そこに至るまでの具体的な軌跡が透けて見えるからだろう。

遠くの集団ではない近くの個人として感じられれば、我々も近しい者としての意識を持つ。津久井やまゆり園の惨劇、戦争中の悲劇、オリンピックのドラマ、いずれにも共通するのは命、その尊さの輝きである。

命が、その音だけを伝えるイノチになると重みを失う。今夏を過ごす私達一人一人の命が損なわれることなく、それぞれに尊く重みのある存在として輝き続けることを切に願う。

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