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写真館に娘の写真を受け取りに行って感じた寂寥感

今日は昼間には晴天に恵まれたものの、長続きしませんでしたね。15時前には雲が増えて、日差しを遮ってしまいました。涼しいのはよいのですけど。

さて、……

今日は娘の写真を受け取りに行った。今春娘が進学し、ゴールデンウィークに某写真館チェーンで記念写真を撮影してもらっていたところ、先日「できました」との連絡があったのだ。

写真撮影に行った頃は、結構「似たような」ご家族が周囲にいた。私の感覚では、春休みに撮ってしまった人が多いのだろうと思っていたが、そうでもないようで意外に感じていた。

写真館に着く。さすがに今日はもう撮影をする人は少ないだろうと予想していたのだけど、そうではなかった。それはなぜか……「赤ちゃん」がいたからである。

赤ちゃんは、基本的には年中誕生する。そして、初宮参り等のタイミングで写真を撮ることが多い。ああ、そうだったなあと自分も来し方を振り返って当時のことを思い出してしまった。

初孫なのであろう、両親は元より両家の祖父母もそろって写真館に来ており、生まれた孫の顔を見てニコニコしながら話をしていた。自分たちもかつてはそんなことがあったのだけど、すっかり忘れていた。

もちろん私の娘のアルバムの最初にも、やはり初宮参りの後に撮影した写真が挟まっている。人は自分の関心に基づいて記憶があやふやになることを改めて感じ、若干反省した。

それにしても、あの頃は良かったなと思う。私達の父母もまだ元気だったからだ。あれから12年が経ち、私も妻もそれぞれの父が鬼籍に入ってしまった。私の母は認知症になったし、時の流れは残酷でもある。

写真館では、赤ちゃんの写真撮影で賑やかな一方、私達の前にも写真を受け取りにきたご家族がいて、私達の受け取りには少々時間を要した。それなりの金額が掛かるものでもあり、選んだ写真に相違ないかも含めて確認するので、これはやむを得ない。

写真は、家族の辿った軌跡の一断面を切り取るもの。そのことについては、前回も書いた。

もう、祖父母のために焼き増しする必要もなくなった。経済的な負担は軽くなったけど、見せたい人がいなくなった寂寥感は抑えられない。

家族の成長の裏には、こういう事情もある。

お読み頂き、ありがとうございました。

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