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なぜいじめられているとは言えないかを考える

今日は、一日中涼しかったです。半袖ではキツくなっています。午後から雨が降る予報が出ていましたが、曇りで止まり、雨にはなりませんでした。

さて、……。

昨年度、文科省の調査でいじめの認知件数が過去最多となったという。

いじめは、最悪の場合それを苦として自殺してしまう子もいる。若い世代は知らないかも知れないが、昔私がまだ高校生だった頃に「生き地獄になっちゃうよ」という遺書を残して自殺した方がいた。やはりいじめが原因だった。

あれから約40年が経つ。この間にも多くの人がやはりいじめを苦にして自殺してきた。もちろん、相談窓口が設置されたり学校でいじめがないかの調査が行われたりするようにもなった。何も対策がなされてこなかったわけではない。

それでも、いじめはなくなるどころか増えている。根本的な解決には至っていないと評価して良いだろう。

普通の親であれば、我が子がいじめられて死ぬなんてあってはならないと思っている。そして子どもに対して「何かあったらすぐに言うんだよ」くらいのことは言っていると思う。

しかし、少なくない子が黙って死を選ぶ。なぜだろうか。

私見だけど、人間には自尊感情があるからだと考える。

人間、誰しも自分は大切。素晴らしい存在だと思っている。だから、その素晴らしい存在である自分がいじめられているという現実を受け入れにくい。いじめられているということは、人から蔑まれているということだから。

自分は人から蔑まれている、蔑まれる存在だと誰かに伝えるのにはかなりの勇気がいる。そのために人に伝えることをためらい、黙って死を選んでしまう。

また、勇気を振り絞って親や学校の先生に伝えても、学校側が何もしてくれないケースも報道されている。親が何度も学校にかけあっても、動きも鈍くロクな対応もしてくれない。その間もいじめは繰り返されるとなると、もう生きる希望を維持できないだろう。

死んだ後に調査委員会が設置されても、何の救いにもならない。おまけに、報告書の中で有意義な提言がなされたという話も寡聞にして知らない。

前にも書いたけれど、学校に過分な期待を持ってはいけないと思っている。そしていじめをする人間は下衆野郎なのであって、ほぼ全員が犯罪者である。

殴る蹴るは暴行罪、それで怪我をしたら傷害罪、金を要求すれば恐喝罪、嫌がることをさせたら強要罪、悪口を言えば侮辱罪等全て犯罪である。犯罪であるからには警察に委ねるのがスジだと考えている。

教育の場に警察を入れるのか? という寝言を言っている時間はとうの昔に過ぎたと思料。何もせず、何もできない組織に任せ続けてきた結果がいじめの認知件数過去最多という数字になって表れてきたのだから。

学校が社会に出る準備の場所だというのであれば、社会に警察があり犯罪撲滅のために働いていることを子どもの頃からきちんと知らしめるべき。それは教育者の面子とバッティングするものではない。

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