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後悔について

埃がうっすらと被った村上春樹の本を、お腹に乗せた夏用のタオルケットで撫でて、またその本と添い寝をする。そういう生活が続いていて、今日25歳になってしまった。

21歳くらいの時までは、人生で後悔をした事は一度もない、と言うのが私の口癖だったように思う。毎日そのように思っていたし、毎日が迸るような好奇心に溢れていて、やたら多くの人間と飲み交わして人生について問いただしたり、どのように金を稼いでいるのか問いただしたり、自分は何も答えを持たずに相手に答えを求めさせていた。

当時は夜を有意義に過ごしていたように思っていた。実際に後悔したことは一度もなく、やりたい事(会いたい人にちゃんと会うこと、寝たい時にぐっすり寝ること、悪いお金を稼ぐこと)を全てやっていたし、やりたくない事(守る意味を理解できないシチュエーションで時間を守ること、顔色を伺って言いたい気持ちを抑えること、嫌いな人と話を合わせること)は頑なにやらなかった。

25歳を目前に、ふと、私は最近、後悔に近い感情を多く、抱え込み始めていることに着眼するようになった。それは主に感情と思想の後悔ではないかと思われる。そして25歳になった。何故だろう。何故こんなにも節目のように感じられるんだろう。25歳。

自分の事は、永遠の32歳だと、19歳の頃から主張している私が、何故25歳なんていう馬鹿げた年齢でクヨクヨしているんだろうと考える。私は25歳だからである。簡単な事であった。

札幌に引っ越してきてから丁度1年が経った。今の私は去年の私よりも、のうのうと、無意味な呼吸を続けているように思う。たまに自分が右手に酒を持ち口角を上げて人と笑い合っている時に、人生こんなものでいいのかと自分自身を責める時がある。札幌には文化人がわりあい多いように思う。

札幌に来て朝まで飲み明かすことに融通が効かなくなると、私はYouTubeのショート動画を狂ったように見続け、時折TikTokの紛い物のような動画や、転用動画のような物が流れてきて、全く無意味なものを見せられていると思うと咄嗟にスマホをベッドに投げつけ、シナモンのぬいぐるみに顔を埋めて涎をらしたりしている。男女が青春を謳歌しているシーンを写真に切り取り、青春ミュージックと共にして「エモい」感じの動画などよく流れて来て腹が立っている自分がいたりしたが、何と先日その「エモい」感じの動画に使われている青春ミュージックとして現在大ブレイクしているKALMAというバンドのボーカルの子と何故か飲めるという流れになった。その子は2000年生まれで高校生の時に大型ロックフェスに出演すると言う最高に羨ましい人生を送っていた。くそう。

周りに凄い人が、やたら多くて、羨ましい。
25歳の抱負は、ビッグになることだ。

提供:絶対に働かない事をお勧めする私


p.s.最近のGoogle検索履歴
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ジャニスチャップリン

残暑が続いていると思われますが
みんな強く生きようね

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