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『メディア・バイアスの正体を明かす』と朝日新聞の記者の質問

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昨年6月に毎日新聞を退職した、小島正美さんの新刊『メディア・バイアアスの正体を明かす』(エネルギーフォーラム新書)を読んだ。冒頭から3分の1は子宮頸がんワクチンをめぐる報道について。

小島さんは1974年から44年間新聞記者として働き、食の安全や医療・健康に関する数多くのテーマを扱ってきた。その長い記者人生の中で、「新聞が死んだ」ことを感じた瞬間が2度あったが、その2度ともが子宮頸がんワクチンをめぐる報道だったという。

退職するまで書けなかったこと、退職しても書けないこともあるのだろう。小島さんから直接の取材は受けていない。しかし、一読しての感想は、「とにかくよく書いてくれた」ということだ。

子宮頸がんワクチンをめぐる報道については、私もたくさんの発言をしてきた。しかし、反子宮頸がんワクチン団体の教祖的医師からの名誉毀損訴訟など、わたし自身が子宮頸がんワクチンをめぐる複雑な物語の当事者となっていったことで、中立的な立場からの問題提起が難しくなっている状況もあった。

そんな中、小島さんがこの本を書いてくれたことは大きい。

この本を読んでも読んでいないふりをする現役記者も多いだろう。しかし、私の記事や本が「ひょっとしたら子宮頸がんワクチンのせいではないかもしれない」と戸惑う、ワクチンのせいだとされる症状に苦しみながらも沈黙を続ける数多くの女性たちに読まれたように、この本が多くの沈黙するメディア関係者に読まれることを祈る。

2016年3月16日、メディアは、遺伝子解析やマウス実験など医学的な体裁を整え、子宮頸がんワクチンの薬害を示唆する厚労省研究班の代表池田修一氏の発表を大々的に取り上げた。

小島さんによれば、この遺伝子解析がまったくのでたらめであったことや、マウス1匹の実験結果に基づいていたことなどの「トリック」を私が明らかにしたあたりから、記者の間にも池田氏のような子宮頸がんワクチンの薬害をあおる医師を胡散臭く思う雰囲気が生まれ始めたという。

一方で記者たちは「厚労省研究班によれば」「池田教授によれば」「調査委員会は会見で」などと引用の形をとる限り、どんな嘘の発表を書いても責任を逃れることができるのを知っている。医学に関する専門的な知識や経験をもたず、訴訟も辞さない活動家に忖度しがちなメディアは、あくまでも引用の形を取って自分たちを守りながら、ずるずると誤ったメッセージを発信し続けたのだった。

その後、2017年末にわたしがジョン・マドックス賞を受賞した際も、いわゆる報道といえる報道はほとんどなかった。無名時代からのわたしの支援者である本庶佑氏が、2018年ノーベル医学賞受賞時にストックホルムで開いた会見で、子宮頸がんワクチン問題に関する長いコメントを発表した時も、一社も報じなかった。

そのことを私が、医者向けメディア「m3」に寄稿した記事(しかもこれはnoteにも加筆転載したノーベルレクチャーの解説記事のおまけで書いたものだった)を通じて知った小島さんは、「村中さんの記事の方が新聞テレビよりずっと早くて役に立つ」と書く。

だが一方で、どんなに正しいことを書いても、どんな有名人が言っても、報道機関がニュースとして報じることがなければ、十分な社会的影響力を持つことができないとも指摘する。

新聞・テレビなどの報道機関は、たとえ引用の形であっても、誤ったメッセ―ジが広がってしまったことの責任の重さを自覚しなければならない。最初に伝えていたメッセ―ジが間違えていたら、正しいメッセージが何であるかに後から気づいたら、「最初のメッセージはまちがっていた」という報道を積極的にしていくのも大切なメディアの仕事だ。

小島さんは、たくさんの中堅記者たちがこの問題を以前から追っていたにもかかわらず、池田氏の薬害をでっちあげるような発表を嬉々として記事や番組にしてしまい、マウス1匹のトリックを暴けなかったのは本当に情けない話だとも書く。

しかし、この発表を科学的に評価できる知識と取材力のある記者がいったい何人いたのだろうか。当時、日経とNHKはマウスの写真からSTAP事件を思い出して警戒し、報じないことにしたと聞いたが、所詮はそのレベルでの判断だ。「~によれば」以上の報道を脱し、正しいメッセージや新しいパラダイムを提示する科学報道は、会見に出席し、リリースをまとめる経験をいくら積んでもできない。仮に記者が医者や研究者だったとしても、きっと同じことだったろう。

先日、ベルリンの全独ジャーナリスト協会の主催で記者会見を行った。ここ数年、富裕層を中心とするワクチン拒否により麻疹流行に苦しみ、昨年末頃から「日本でも起きている」を謳った反子宮頸がんワクチン運動も始まったドイツでは、日本の子宮頸がんワクチン問題は他人事ではない。2時間を予定していた会見は、質疑が白熱し3時間半に延長した。

感心したのは、記者たちの関心の高さだけではない。国営ラジオの老舗番組「Deutschlandfunk」や「InfoRadio」など会見の直後にインタビューの音声を流したところもあったが、ほとんどのメディアが「背景となるデータや論文などもう少し調べてから記事にしたい」と言って持ち帰り、少し時間をおいてから大きな記事で報じたことだ。

複雑な背景をもつ社会的影響力の大きな問題を取り扱う場合、ある程度の紙面を割き、丁寧に報じなければ誤解を招く。ドイツの記者たちはそう判断してデスクと交渉したのだろう。

速報したラジオも日本とは違っていた。何度も、何日にも渡って、インタビューを別の形に編集し直した番組を繰り返し繰り返し放送した。合理的根拠のない反子宮頸がんワクチン運動が広がるのを阻止するために。

記事が発行されるまでの間、各誌から「日本語でもいいから原典のリンクを教えて欲しい」などと細かなファクトチェックを受けた。日本のメディアによくある、被害を訴える市民とワクチンの重要性を訴える医者の声の両論併記という記事は一つもなかった。ドイツの記者たちは自分の頭で、子宮頸がんワクチンの効果と安全性についての科学的な議論は終わっているとしっかり評価してから記事にしたからに違いない。

欧州最大のニュースメディア「シュピーゲル」は雑誌1頁とウェブで、ドイツ最大の新聞「南ドイツ新聞」は一面、「新チューリッヒ新聞」(日曜版)も一面の扱いで取り上げた。同じ会見を聞いたのに、三者とも別の視点からの違う記事に仕上がっていた。

科学にもとづく記事を発信することを目的とした独立系のウェブメディア「MedWatch」は私に自筆の記事を発表する場を提供した。原稿料を受け取って記事を書くのは久しぶりのことだ。池田氏からの訴訟が起こされて以降、原稿料を受け取って日本のメディアに記事を書く機会は激減したが、久しぶりに子宮頸がんワクチンについての長い記事「日本はどうやって反ワクチンの津波に飲み込まれたのか」を書いたのでここに紹介する。

小島さんにドイツのメディアの反応を伝えると、「日本のメディアの反応から考えると意外ですね」というコメントが返ってきた。しかし、ドイツメディアの反応は、本当に世界の例外なのだろうか。フェイクニュースの拡散を放置するどころか広げる方に働く日本のメディアのあり方についてドイツの記者たちは、「教育水準も公共意識も高く、科学の進歩した日本でなぜ…?」と大きな衝撃を受けていたことを記しておく。

今日から約3週間後の3月26日、池田氏からの裁判が判決を迎える。東京地裁の一審だけで2年半。書き手として非常に厳しい時間だった。訴訟を起こすことでメディアを震え上がらせ、科学的な声を封じるという反ワクチン運動の目的は十分に達せられた。私の1人の筆では反ワクチン運動に立ち向かうことはできなかった。ネイチャーのジョン・マドックス賞をもってしても、がん撲滅への道を切り開いた本庶佑氏のノーベル賞をもってしても、日本のメディアの流れを十分に変えることができないでいる。

昨年の7月31日、証人尋問後の記者会見の際、朝日新聞の記者が私にこう質問した。「裁判までやって負けたら、薬害が証明されたような印象を社会に与えますよね。そういうこともちゃんと考えて執筆をされていらっしゃるんですか?」と。

私が望んで始まった裁判ではないことは重々分かっているはずだが、これは何を意図した質問なのだろうか。

大メディアには、判決がいかなる内容であれ、「捏造、認められず」などのミスリーディングな見出しで、反ワクチン運動を後押しするメッセージを社会に届ける力がある。しかも、引用の形を取っている限り「記事は正確です」と胸をはって。肝心なことは報じないことで、反ワクチン運動を間接的に後押しすることもできる。

しかし大メディアにはそれとは逆に、判決と子宮頸がんワクチンの安全性は何も関係のないことや、日本だけがフェイクサイエンスを信じ込み、がん撲滅の世界的な波に乗れないでいることなど、重要なメッセージを社会に届ける力も持っている。

記者にもデスクにもそのことを思い出して欲しい。

2019年5月31日、追記:2019年3月26日、朝日新聞は結局、「ウェッジに330万円の賠償命令 研究ねつ造報道は誤り」のタイトルで判決を報じた。ウェッジ社と元ウェッジ編集長は判決を受け入れ、私が4月8日付でひとり控訴したが、そのことを報じた新聞・テレビを私は今日に至るまで知らない。

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