50代日記

マッハで帰るんですね

#創作大賞2023 #エッセイ部門
 最近、ろくに口をきいてくれない息子の趣味にコーヒー店巡りというものがある。財布変わりをもくろんでいる時、彼は「○○のコーヒー店明日行ってみようと思うんだけど、ムッチャ遠いねん」とささやく。で、まんまとその戦略にはまり、「明日の午前中なら空いてるよ、行く?」と答えてしまう母がいる。
 今朝も、せっせと早起きをして息子と二人出かけたのだが、そのお店は山に囲まれた静かな場所にあり、古民家を改造してつくられていた。店内は古民家ならではの年季の入った重厚感のある木に覆われ、壁紙は赤の中でも一段と落ち着いた色合いで、その古民家のムードを引き立たせていた。装飾も昭和レトロな小物が立ち並び、ジャズ風な音楽とあいまって、その空間だけ時がまったりと流れているようであった。
 今日一番最初のお客である私たちは、店内の真ん中に近いところにある、二人掛けの席に着き、メニューを開いた。対応してくれた店員さんは、歳のころは私より少し上であろうコジャレた女性で、そのコジャレ具合がこのお店に合わない気もしたが、そこが逆にオシャレなのかもしれないと、どうでもいいことを考えたりしていた。
 実は、コーヒーが苦手な私はこういう時何を頼むか困るのだが、息子の方は、コーヒーだけで済むことはなく、必ず食事も頼むのが常である。食べたいものを食べさせてきたつもりであるが、食への探究心は恐ろしいものがあり、丁度今やっている朝ドラの【らんまん】の植物に対する執着と近いものを感じる時がある。今日もちゃっかりオムライスとコーヒーを頼んでいた。この遠慮のなさは、若かりし頃の私そっくりであり、遺伝ならば仕方がない。
 私たちがオーダーをしてから二人ほど常連さんらしき人が入ってきただけであったが、その割には食事が来るのが遅かったように感じていた。10~15分ほど過ぎ、まずはオムライスがでてきた。上にデミグラスやホワイトソースがのっかっているようなこともなく、ケチャップで勝負という由緒正しきオムライスであった。そのたたずまいは、無駄を省き原点に返っています!と主張をしているようで、なぜかうれしかった。味は、息子曰く「おいしい!」ということで、食に執着している割には、そのボキャブラリーの少なさに、食の道ではこれ以上の展開はないなと息子の将来を確信したのだった。次に息子のコーヒーが到着した。彼曰く、味がいつまでも残る香り高いもので、非常に気に入ったようだった。コーヒー嫌いの私は、カフェオレとフレンチトーストという、この場に負けないオーダーを試みていた。フレンチトーストを食パンではなく、フランスパンで作っていたこと以外、強いてこれ!という感想もないが、美味しかったことは確かだ。(息子と同じ食レポレベル…)
 出されたものを一心不乱に食するのが、我が家の習慣で、今日もいつものように、あっという間に平らげてしまった。15分待って、5分で食べたというところであった。食べてしまえば、もうすることはない。一応、この風情たっぷりの店内もグルグルと回ってみたし、DIYと壁紙張りが趣味の私は、自分が古民家を購入したら、こんな壁紙とこんな家具を置き…などと一通り妄想も済ませてみたのだが、もうすることがなかった。
 実は、今日もやることてんこ盛りで、早く帰ってあれやこれやそれやとやらなければばらない。で、さっと立ち上がり、「帰るで!」とレジに向かったのだ。けれど、こちらのあまりに早い食べっぷりに、レジの準備ができておらず、そこでレジの人を待つことになった。3分ほどして出てきたその女性は、やはりコジャレていて先ほどの女性より少し年配で、昔はすごくきれいだったと思わせるオーラ―を放っていた。髪の毛もわざと環境や人体的影響を考慮してグレーヘアーにしていますという、白髪なのに白髪と言わせない迫力を持っていた。あまりに早く立ち去ろうとしている私たちに彼女は、微笑ながらこう言い放った。「そんなにマッハで帰るお客さんいないですよ。大概、数時間みなさん滞在されますからね~。」
 「おぉ~」この一言がズシンと心を突きさした。こういうところでは、ゆったりまったり過ごして、非日常を楽しむべきなのだ、ストレスからの解放、心の洗濯、リフレッシュ、無になってみる、自分を見つめる、何でもいいがそう言う類のことをするところなのだ。そのためのこの内装なのだろう。
 こう言われて、初めて自分の生活を振り返ってみた。私はいつもいつも時間に追われている。いや、戦っているといっても過言ではない。1年の3分の1は出張に出て、家にいる時には出張で使う資料作りに追われ、炊事、洗濯、子供の世話に、猫の世話、シングルなので旦那はいないが、両親も年老いてきていて、その世話もこれからのしかかってくる。とにかく時間が足りない。なのに、やりたいことも欲しい物も一杯ある。欲にまみれているのだ。嫌いなものベスト3に信号が入るほど、じっと何かを待つことが苦痛という性質もあり、友人からもマグロ(止まったら死ぬ)と言われてきた。そこに、何の疑問も持たず、というかこのペースで動かなければやるべきことが終わらない=回らないのだが、それは私が思っているだけなのかもしれない。あのオーラ―がとてつもない説得力を持ったグレーヘアーの彼女は、一瞬でそんな私を見透かしていたようだった。入る⇒食べる⇒帰るを「マッハ」という言葉で表現していたが、《人生を急ぎ過ぎない。ゆったり歩くことも必要よ!》そう言いたかったのだろう。56歳にして、まだまだその境地にいけそうにない私がいる。息子の財布になるのも、意外な出会いがあって面白いものだ。今度は、本でも持って、せめて1時間頑張って座っていようと考えているが、頑張ってやることではないことは、分かっております。


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