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欲に耳を傾けた1年

1年を振り返るにはまだ少し早いだろうか。
まあ、ここ数ヶ月は時の流れが異常に速いので、十二支の牛さんよろしく今から振り返り始めないと年内に間に合わないかもしれない(なんとなく調べたら来年はまさに丑年らしい)。

一説によると、年初めに掲げた1年の目標というのは、みんなだいたい1月中に忘れてしまうのだという。
わたしは元来、目標を立ててそれを達成するためにコツコツ努力をすることが苦手だ。というよりできない。
だからそもそも2020年の目標は立ててすらいない(と思う、それさえ忘れた)。

ただ、年間を通してできるだけ意識することを、ひとつだけ決めていた。
それは、「自分の中に湧き上がる欲に耳を傾ける」こと。
「やりたい」「やりたくない」、はたまた「好き」「嫌い」。
人間としてそれらの意思・感情を持つことは通常だと思うけれど、わたしの場合は、その声がとても小さい。
代わりに、外からの「〇〇すべき」「△△はしないべき」という声がやたらと大きく聞こえてしまい、心をあっという間に支配される。

自分の気持ちをなかったことにするのは、昔から得意だった。
それが世間的に(世間といっても極々狭い身近なコミュニティ)間違いだったり、周囲の人に迷惑をかけてしまったり嫌われてしまったり、そういう可能性の方が高くてリスクが大きいから。
自身を丸め込む、長いものに巻き込む方が、遥かに楽なのだ。
世間に求められる像を演じるのも、どうってことない。
評価されるかもわからない1を0の状態から生み出すなんて、わたしという器にはとてもじゃないが無茶な話。
そういうことは、あの、大きな声でなにかを発しながら最前線を闊歩していくような人たちがするものだ。

どういうわけか、そう純粋に信じ抜いて28年間が過ぎてしまったが、薄々気づいてた。
もうそろそろそんな呪縛から自由になってもいいんじゃないかと。
むしろ残すところ1年と少しの20代のうちに鎧を脱いでおかないと、人生拗らせまくって取り返しのつかないことになってしまうのではないかと。
しかもなんだかんだいって、100%自分のものと胸を張れない人生を生きるのに、少し疲れた。

頭ではわかっている。
世間のせいでこんなにひねくれちゃった、みたいなふうに思い込んでいる節があるけれど、結局、自分の人生の責任は誰も取ってくれない。
自分しか責任を取れない。
だから、自分でどうにかするしかない。

じゃあどうすればいいんだろう?
いきなり自分らしく生きようなんて、無理難題。
自分らしい人生、まだ歩むための準備運動どころか装備も身につけていない状態である。
生まれたての赤子とそうそう変わらないのだ。

というわけで、まずは「自分の欲に耳を傾ける」ことから始めてみよう。そう思い立ったのが今年1月のことだ。
心の底から聞こえてくる小さな小さな声を拾い上げて、丁寧に読み解いてはまたすぐ取り出せる心の手前側に保管し、温める。
もちろんすぐにうまくいくはずもなく、長年自分が信じてきたものとのギャップに悩まされた時期もあったが、今では少し気持ちが楽になってきた。
転機はやはり、10月末からTwitterを休止し、noteを始めたことだろう。
自分自身と真摯に向き合う心の余裕が明らかにできた。

つまり、「自分らしく生きる」はKGIであり、「自分の欲に耳を傾ける」はKPIといえるかもしれない。
こういう1年の目標の立て方も、きっとあるのだ(それっぽく書いてみたけどめっちゃアホっぽい)。

さて来年はどうしようか。
年末年始は暇で仕方がなさそうだし、またゆっくり紐解いていこう。

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