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『映画を観る(AT LAST MOVIE)』Chapter-3



 それからというもの、ツトムとミズノはひたすら映画を観続けた。物置から持ってきた二人掛けのソファを店の中央におき、そのまえにTVとビデオデッキを設置し、カーテンを引いて店内を暗くして、片っ端からとにかくビデオを観続けた。そして一本観終わるごとに感想を語り合った。

 あのセリフがよかった。

 あの演技がすばらしかった。

 あのシーンはきっと○○のオマージュに違いない。

 ストーリー、演技、編集や録音やカメラワークに至るまで、たがいの素直な意見を交換した。ときどき棚から映画雑誌を引っ張り出して参照してみたり、身体が強張ると店内放送でカセットを流し、ラジオ体操をやったりもした。やがてふたりは映画の感想を語り合うのみならず、互いの身の上話をするようになっていた。

「あの、今更なんですけど、ミズノさんは何でここでバイトしようって思ったんですか?」
「うーん……ええと、これは、あのう、ちょっと恥ずかしい話なんですけど……」
「聞かせてください」
「……笑ったりしないでくださいね」
「笑わないですよ。約束します」
「……ずっと、探してる映画があるんです。ここでお仕事したら見つかるかも、って思って」
「ソレ、どんな映画ですか?」
「それが、たったワンシーンしか覚えてないんです。いつどこで観たのかも、誰が出てたのかも、夢の中の出来事みたいに、すごくあやふやで。でも、そのワンシーンがものすごく印象に残ってるんです」
「へええ。ちなみにどういうシーンなんですか?」
「ある青年が、ずっと片思いしていた若い女性に、“好きです”って告白するんです。そしたらその女性はちょっと間を置いたあと、はにかみながら“知ってます”って答えるんですよ」
「……それだけ?」
「それだけです、本当にそこしか覚えてなくって。心当たり、ないですか?」
 ツトムは腕組みをして唸ったのち、ふるふる首を振った。
「んん〜……スイマセン。ちょっと、オレはわかんないです。でも、いいセリフだ」
「ですよね。すごくロマンチックだと思う。いつかあの映画を、もう一度観たいんです。また出会えるといいんですけれど」
「出会えますよ。ここにはまだ観てないビデオが山ほどある。きっと、ここにありますよ。いや絶対ありますよ」
「だと、いいなぁ」
「……でも、ほとんど覚えてないけど、ミョーに印象に残ってる映画っていうの、オレもあります」
「へえ、どんな映画ですか?」
「や、でも、もしかしたらオレの妄想かもしれません。そもそも実在しないかもしれないし……」
「私も恥ずかしいの押し切って話したんだから、教えてくださいよお」
「わかったわかった、言いますよ。ええと、ふたりの男女が、映画館で深夜のレイトショーを観てるんです。客はそのふたりだけで、そのふたりはお互いのことを知らない。そしたら上映中におおきな地震が起きる。で、外に出てみたら世界のすべてが消えてなくなっていた、っていうあらすじの映画です」
 ツトムが一息に話してしまうと、ミズノは眉を曇らせた。
「……それって」
「や、そうなんですよ。何ていうか……まさに、って感じじゃないですか。今、オレたちが置かれてる状況にそっくりだ」
「その映画は、それからどうなるんですか?」
「実はそのあらすじしか覚えてないんですよ。ただ、いつかどこかで観たはずなんです。だから、何だか、すごく不思議な気分なんですよ。だって、そんなの……予言みたいだ」
「……私、たまに思うんです。映画って、いつかどこかで本当にあったこと、いつかどこかで本当に起きることを描いているのかもしれないって」
「それは……ヒトが想像しうることはすべて現実に起きる、みたいな話ですか?」
「うーんと、うまく言えないんですけど、つまり、映画っていうのはもう一つの現実なんじゃないかって。並行宇宙は10の500乗個存在するし、次元はぜんぶで10次元まであるそうです。どれだけ非現実的に思える映画でも、どれかの宇宙の、どこかの次元では、まったく同じことが起きているかもしれないって。クレイジーな考えですけれど」
「いや、それはクレイジーじゃない、ユニークだ。すごく面白い」
 ツトムは感心そうに何度もうなずきながら続けた。
「考えてみると、映画って不思議ですね。架空の人物が架空の時間で架空の物語を演じてる。でもそれを演じる俳優たちは実際に存在するし、それを撮影していた時間も、撮影していた場所も存在する。ある時間の中に、もうひとつ別な時間を生み出す行為だ」
「言ってること、わかる気がします。そうやって作られた時間を、観客はそれぞれの時間で感じようとする。いろんな時間が一瞬に層をなして流れてる」
「そう、そうです。すべては同時に起きてる。映画はまさに時間芸術だ」
「ツトムさんのいうその映画も観てみたいな」
「いまこの状況で観たら、きっとすごく不思議な気分になるでしょうね。今度こそちゃんと観たいです」
「きっと、ここにありますよ。いや、絶対ありますよ。当店自慢の品揃えですから」

 それからもふたりは映画を観続けた。アクション、コメディ、ホラー、ミュージカル、ありとあらゆる時代の、ありとあらゆるジャンルの映画を貪るように観まくった。そうしてついに所蔵量の約半分、四千六百十一本の作品を鑑賞したが、まだふたりの記憶の片隅にある映画は見つかっていなかった。そして大映時代劇十本連続鑑賞を終えたあと、ツトムとミズノはラジオ体操をしながらとりとめもない話をしていたが、ふいにミズノがぽつりと言った。

「……ときどきっ、思うことがっ、あるんですよね」
「んーっ、なんすか?」
「そのっ、こんな風になっちゃったのはっ、ひょっとしたら、私のせいかもしれないって」
「……なんで、そんなこと思うんですっ?」
「言ったじゃないですかっ、ここが閉店しちゃうのがイヤで、明日なんか来なきゃいいって思ったって。だからっ、それがっ、神様に届いちゃったんじゃないかなあって」
「そんなこと言ったらっ、オレもっ、思い当たるフシ、ありますよ」
「えー、明日なんか来なきゃいいのにって思ったんですかっ?」
「えっと、ちょっと違くてっ。オレは、そのっ、こんな世界、なくなっちゃえばいいって思ったんですっ」
「どうしてですかっ?」


 ミズノに聞かれてツトムは思わず口ごもった。ミズノに話しかけられずにいた自分がイヤでイヤでたまらなくて、自己嫌悪の末にそうした破滅欲求に至ったなどとは、とても言えなかった。


「……それは、えっと、つまり……み、ミズノさんと同じでっ、こんなサイコーのお店が経営難っていう理由でなくなるのがっ、その、イヤだったからですよっ。いわばそのっ、現代の、超資本主義社会に対する一種のそのっ、アゲインスト的なバイブスっていうかっ」
「じゃあっ、私とツトムさんの強い気持ちがっ、神様に届いちゃったんですかねっ。それで、時間も、世界も、何もかもなくなっちゃった」
「それならっ、ためしに祈ってみますかっ? ぜんぶ、元に戻してくれって」


 ツトムとミズノは体操を止めると顔を見合わせ、それから祈りの仕草をとった。ツトムは目を閉じ指を伸ばして手の平をぴったりくっつけ、ミズノは目を閉じ両手の指を組み合わせた。そうしてふたりはラジオ体操が流れる中、目をぎゅっと瞑って、祈りを捧げた。しかし、どれだけ祈ってみても何かが起きる気配はなかった。やがてふたりはゆっくり目を開けるとふたたび顔を見合わせ、たがいに苦笑した。


「……なにも、起きませんね」
「……神様、どうやら留守みたいですね」

 ツトムは冗談めかしてそう笑ったが、内心は薄暗いものがあった。ツトムは“元の世界に戻りたい”と祈る一方、どこか頭の片隅で、“ずっと、このままでもいいかもしれない”と思ってしまっていたのだった。そんなことを思ってしまう自分の卑しさが、ツトムは恥ずかしくてならなかった。


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