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初めてバンドを組んだ日の思い出

人生には一夜だけ、思い出に永遠に残るような夜があるにちがいない。
誰にでもそういう一夜があるはずだ。そして、もしそういう夜が近づいていると感じ、今夜がその特別な夜になりそうだと気づいたなら、すかさず飛びつき、疑いをはさまず、以後決して他言してはならない。というのは、もし見逃せば、ふたたびそういう夜が来るとはかぎらないからだ。

逃した人びとは多い。たくさんの人びとが逃し、二度とめぐりあっていない。なぜならそれは天気、光、月、時刻というすべての条件、夜の丘と暖かい草と列車と町と距離が、ふるえる指の上で絶妙のバランスをとった瞬間にあらわれる夜だからだ。

(レイ・ブラッドベリ 『生涯に一度の夜』)



あの日あのときあの場所で君に会えなかったら。という歌があるが、誰しも、『人生を変えた出会い』というのがあるだろう。あの日、あのとき、あの場所で、アイツに出会っていなければ、間違いなく自分の人生はまったく違うものになっていただろうと確信をもって言えるそんな瞬間が。オレにとって2009年12月11日がまさしくそういう夜だったのである。

2009年、オレは19歳だった。アパートで一人暮らししながら、警備員が率先して商品を万引いているどうしようもない田舎町のホームセンターで正社員として働いていた。当時のオレは今にもまして燻っていた。ブックオフとツタヤとタワーレコードに足繁く通い、昔のロックや映画や漫画に耽溺し『いつか何かをやってやる』と思いつつも結局何もしないまま、ただ知識ばかりを溜め込んで腐らせている、どこにでもいるような青二才のボンクラだった。

そんなある日、オレは友人に、ライブなるものに誘われたのである。音楽は好きだったが、オレはそれまで一度もライブというものを観たことがなかった。

正直に告白すると、興味はあったもののビビっていたのである。

ライブハウスなどというのは、ネズミが大量に生息する薄暗い地下にあり、脱法ハーブを吸いまくりながら器物破損や傷害行為におよぶ愚連隊が跳梁跋扈する不穏な空間だと半ば本気で思っていたのだ。テニスラケットより重いものを持ったことがない生粋の箱入りお嬢様のオレには、そんなクレイジー・スポットなぞ一生縁がないだろうと考えていたのだが、友人に誘われて一念発起、行くことにしたのである。


友人と待ち合わせて向かったその場所はライブハウスではなかった。清潔で明るい、新築の貸しスタジオであった。貸しスタジオの一室に客をぎゅう詰めにして演奏するスタイルのイヴェントだったのである。内心ホッとすると共にちょっと拍子抜けした気分であったが、学祭でイケてるグループが演奏するド下手糞なGOING STEADYのコピー以外で生演奏というのを観たことがなかったオレにとって、それはたいそう強烈な経験だった。ゼロ距離で放たれるエレクトリック・サウンドで皮膚がビリビリと痺れ、胸がドキドキうずいた。こんな世界があるのか、と思った。そして、色めきたつオレのまえに、ヤツは現れたのだった。

それは“悪童とはロマンを追求することに人生を捧げたバカ者である”という長ったらしい名前のバンドらしかった。しかし、ステージ(というかスタジオ前方)に現れたのは、小豆色のギブソンSGを抱きかかえたひとりの青年だった。他にメンバーらしき人間はいない。はて、これは一体どういうことか? 首をひねりながらも青年を注視していると、ゆるいウェーヴのかかった髪を肩まで伸ばしたやけにハンサムなその青年は、マイクを握るとこう言った。

『えーと、きょうはバンドで出演する予定だったんですけど、僕以外のメンバーが全員来なかったので、僕らはきょうで解散します』

まさかの解散発表である。しかも自分以外のバンドメンバーがライブ当日にブッチ辞めという悲惨にも程がある終焉-THE END-。眼前で繰り広げられる超展開にオレを含む誰もが口を半開きにして立ち尽くしていると、そのハンサムな青年は続けてこう言った。

『代わりといってはなんですが、きょうは僕の好きな曲を流すことにします』

そして青年は一枚のCDを取り出すと、スタジオの隅にあったプレイヤーにそれを突っ込んで再生した。ドラマチックで胸を打つイントロが響き渡る。オレは思わず、おお、と唸った。その楽曲を知っていたからである。それは面影ラッキーホール(現・Only Love Hurts)の“車椅子になっても”という曲だった。面影ラッキーホールとはものすごく完成度の高い楽曲に、ものすごくリアルでイヤな詞を乗せる、いまも現役で活動中の日本のファンク歌謡バンドである。オレは高校時代からソウル/ファンクミュージックを好んでよく聴いており、このバンドも結構好きだったのだが、リアルでこのバンドを知っている人間に遭遇するのは初めてだった。一曲を丸ごとかけると、青年は『きょうは古着とか色々持ってきたんで、ホールの方でフリーマーケットやります。よかったら見ていってください』といってぺこりとお辞儀し、ライブ(と呼べるかどうかはわからないが)が終わった。オレは呆然と立ちすくんだまま、ほとんど傷つくように感動していた。

その日のイヴェントが終わると、ホールで古着を広げてフリーマーケットを開いていた青年にオレは声をかけた。

『あの、さっきのライブ、すげえ良かったです』

青年は一瞬キョトンとした顔をしていたが、はにかんだような笑みを見せながら答えた。

『いやいや、お恥ずかしいものをお見せしました』

『えっと、バンド、本当に解散したんですか?』

『解散したっていうか、まぁ、ライブ当日にメンバーが全員来なかったら解散でしょう。全部おれが悪いんですよ』

『お、面影ラッキーホールかけてたっスよね? オレ、あのバンド好きで』

オレがそういうと青年の眼の色が変わった。

『え、面影ラッキーホール好きなんだ』

『ハイ、“あんなに反対してたお義父さんにビールを注がれて”と“好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた”が特に好きです』

『そうか……そうなんだぁ……へえ……おいくつですか?』

『あ、19歳っス』

『おれも。タメであのバンド好きな人、初めて会いました。オレ、アワノっていいます。よろしくね』

アワノと名乗るその青年はオレに手を差し出した。オレはおずおずとその手を握った。アワノはまっすぐオレの顔を見ると、こう言ったのだった。

『ところでさぁ、君、おれとバンドやんない?』

その目は澄み切っており、全く冗談を言っている目ではなかった。初対面、それも出会ってわずか数十秒でバンドに誘ってくるなんて、かなりどうかしている。こいつは相当に頭がおかしい。だがしかし、彼の曲など一曲も知らないというのにオレのアンテナはビンビンに反応していた。オレの本能が“こいつは天才だ”と告げていた。バンドはもちろんのこと、楽器すら触ったこともなかったが、この天才についていけばどうにかなるかもしれない。ひょっとしたら何者かになれるかもしれない。いずれにせよ、これは人生を変える最高のチャンスだ。こんなの、悩むまでもない。

『いいよ。やろう』

オレがタメ口でそう答えると、アワノはニッコリ笑った。


そして、その夜の打ち上げで、オレとアワノ、オレをライブに誘ってくれた友人の三人でバンドを結成することが決定した。アワノは『もうすでに次のバンドの構想はある』といった。『どんなバンド?』と聞くと、アワノは自慢げにこう言った。

『えっとね、一曲がすごい長くて、歌詞も文学的で、転調とか変拍子とかもバンバン入ってる、すごい複雑な楽曲構成のバンド。たぶん地球上でまだ誰もやってない新しいロック』

少し間を置いて、オレはこう答えた。

『……それって、要はプログレってこと?』

困惑しているオレを尻目に、アワノはキョトンとした顔でこう言った。

『ぷろぐれ? 何それ?』


……アワノは、恐ろしいほど音楽を知らなかった。このおそるべき天才と、オレは四年にわたってバンド活動をすることとなる。

かくして2009年12月11日、オレの人生は変わった。いまツルんでいる友達や、世話になっている先輩方などは、このときバンドをやらなかったら確実に出会わなかったであろう人しかいないし、いま一緒に住んでいる同居人のベーシストもこのとき組んだバンドから派生した新グループで出会った。人間関係ばかりではない、もしこのときバンドをやらなかったら、オレはきっと文章を書いたりはしなかっただろうし、当然このnoteも存在しなかっただろう。一夜がすべてを変えたのだ。すべてのことがこの一夜からはじまったのだ。オレの人生は、一度もライブを観ることがかなわなかった、とあるロックバンドの解散発表からはじまったのである。







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