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『映画を観る(AT LAST MOVIE)』Chapter-4


 

 それからもふたりは映画を観続け、感想を語り合い、ラジオ体操を重ねた。膨大なビデオはどんどん消化され、そしてついに最後の一本へと辿り着いたのだった。それはイタリアの古い映画で、パッケージ裏のあらすじを見ると、ある若いカップルが戦火によって離れ離れになるというストーリーらしかった。ツトムはビデオテープを取り出すと、思いつめたような顔でぼそりと言った。

「……これが、最後の映画です」
「……とうとう、ぜんぶ、観ちゃいましたね」
「……とうとう、ぜんぶ、観ちゃいました」
「……なんだろう、なんか……寂しい、ですね」
「……うん、寂しい」
「……まさか、このお店の映画を全部観ることになるなんて思わなかった、な」
「……オレもですよ」
「……あらすじを見る限り、ツトムさんの思い出の映画じゃなさそうですね」
「……ン、まぁ、そんな映画、はじめっからなかったのかもしれないし。ぜんぶ夢だったのかもしれない。でも、この映画が、ミズノさんの探してる映画っていう可能性はありますよ」
「……最後の最後に? ふふ、それは、さすがにちょっと、出来過ぎなんじゃないですか? それこそ映画みたいな話です」
「……映画みたいな話ですけど、本当に起こりうることだから映画になるんですよ。少なくともオレが監督なら、ラストはそうしますね」
「……ん。じゃ、観ましょうか」
「……はい。観ましょう」

 そしてツトムはビデオデッキにテープを差し込むと、革張りのソファに深く身体を預けた。隣をちらりと見やると、ミズノは寂しそうな遠い目でTVをじっと注視していた。やがて映画は始まり、ドラムロールと共に、ノイズ混じりの画面にタイトルが映し出された。

 映画は、こんな物語だった。
 イタリアの農村に暮らす若い男女が、祭りの夜に結ばれる。ふたりはやがて結婚し、一緒に暮らすようになるがほどなく戦争が起こり、男は徴兵されてしまう。戦火はどんどん激しさを増し、村は焼かれてしまう。なんとか女は逃げ延び、そして戦争は終わる。女は都会の片隅で花売りを始める。すべては生きるために。また、男と再会するために。いっぽう戦争を生き延びた男は故郷の村が焼かれたことを知り、女はもう死んだと聞かされる。男もまた都会に移り住み、やがて犯罪に手を染める。すべては生きるために。また、女と再会するために。そうして数十年の月日が流れ、ふたりはついに再会する。ふたりはそれぞれ別な相手と結婚し、もう孫さえいたが、互いのことを忘れたことはひとときとしてなかった。長い年月によって容貌は変わり果てていたが、それでもひと目見た瞬間、ふたりは相手が誰であるかを理解する。そうしてふたりは無言のまま見つめ合い、強く抱きしめ合う。

 ふたりが抱擁を交わすラスト・シーンで、ツトムの目に涙が滲んできた。それは“再会できてよかった”とか“これだけ愛し合っていたふたりが結ばれなくて悲しい”とか、そういうことではなかった。ラヴに触れて崩落したのだ。過酷な人生を貫く背骨のような、強靭で巨大なラヴに。ツトムは握り拳で涙を拭いながら、ふと、隣のミズノを見た。ミズノの綺麗な頰を、一筋の涙が伝っていた。涙の跡が、光を浴びて滲むように輝いていた。そうしてミズノは大きく瞬きをしながら、身じろぎひとつせずに画面を見つめていた。瞬間、ツトムの胸に熱いものがこみ上げてきた。ミズノの美しく儚げな横顔が、愛しくて愛しくてたまらなかった。気がつくと、ツトムはミズノの手をほとんど反射的に握っていた。ミズノは肩をびくんと震わせたが、無言のまま、ツトムの手を握り返した。そうしてツトムとミズノはひとことも喋らず、エンドロールまでずっと手を繋いだまま、画面を見つめていた。映画が終了し、画面が暗くなると、ツトムとミズノはまったく同じタイミングで互いの顔を見た。涙に濡れたふたりの視線が交錯する。ツトムは自分でも驚くほどに、胸の中にある気持ちを素直に口にした。

「……好きです」

 ミズノは唇の端を持ち上げてはにかむように笑ったあと、小さな鈴を転がしたような綺麗な声でこう答えた。

「……知ってます」

 ツトムはミズノのぱりっとした三つ編みや、レトロな丸メガネの向こうの眠たげな目を、震えるような気持ちで見つめた。やがて、ミズノは静かに目を閉じた。なすべきことは全て細胞が記憶していた。引き寄せられるかのように、ツトムはゆっくりとミズノに顔を寄せた。そして、ふたりの唇が今まさに重ならんとする、その瞬間であった。ビデオデッキの自動巻き戻し機能が作動し、テープが巻き戻されると共に、店内が激しく揺れ出した。我に返ったツトムはミズノをぎゅっと抱き寄せた。ツトムは狼狽しながらも、腕の中で困惑し、恐怖に震えるミズノを強く抱きしめながら、声を張り上げた。

「だっ、大丈夫っ! ミズノさんっ、大丈夫だからっ! 守るからっ! ちゃんと、守るからっ!」

 TVが消え、棚が倒れ、ビデオデッキが無残に潰れた。激しい地鳴りと轟音が響き、店内は真っ暗闇になった。それと同時に、ツトムの意識は急速に遠のいていった。ツトムはそれでも、ミズノの身体を離さなかった。意識の糸の最後の一本が途絶えるその間際まで、ツトムはずっと、ミズノを抱きしめ続けたのだった。


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