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自己理解はいつも不十分

人間は、自分をいちばんわかっているのは自分だと思い込むところがあって、今更自分を探求しようとは思わない。でもこれでは自己理解は育たない。そして理解が不十分だと、自己の未熟を自覚することもないし、それでは自己改革しようなんてことすら思わない。

ぼくもそうだった。10代で両親が病で他界したり、会社で上司から陰湿ないじめを受けたり、親と似た病気を患い30代で初めて死を覚悟したり、夫婦関係がもつれて家も財産もすべて失ったり、そういう経験を通じて、自分が苦しいのは、社会のせい、会社のせい、アイツのせいと決めつけて、いつしか愚痴に我が身が毒されていることにも気がつかず、気力を失い、惰性を日々に追い詰められていた。そんな生活を何年もしていると「自分がこれでいいのか」と問わざるをえなくなってくる。そして、その頃から、今まで自分と考えていた自分というものに疑問を抱くようになり、自分を苦しめている問題は自分の外にあるのではなく、自分という存在が自分にとっていちばんの問題として認識し始めた。

人間は「今までの自分のままではダメだ。よりよく生きたい」と思い始めたら、今までの自分のままでは必ず行き詰まるようにできているのだろうと思う。そして、今まで自分と思っていた自分に疑問を抱くような状況に追い込まれないと、自分を見つめ直し気持ちにもならないのかもしれない。

次回に続く・・・。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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