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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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#悩み

ボタニカル哲学(後集129)寺院に群がる人

多情な女性は、一途に思った挙句尼僧となり、のぼせやすい男は激しく思いつめて仏道に入る。元…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集99)一場の夢

俳優に白粉を塗り、紅を注して化粧をさせて、美醜を筆先作り出しているが歌が終わり舞台が跳ね…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集98)先見の明、卓越した見識

病気になってはじめて健康の重要性に気付き、戦争になってはじめて平和の有難さに気付くような…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集97)父母未生以前の面目

試しに、自分が生れる前はどんな姿だったか考え、死んでしまった後はどんな姿なのかを考えれば…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集96)争わざるを勝ちと為す

達観した人の風流とは、心に悩みの無い悠々自適な生活が営まれていることである。だから、酒を…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集95)本体と現象

真理が静寂であれば、当然、現象もまた静寂である。それなのに、現象を捨て去り、真理に取り付…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集94)主体性の確立

自分が主体となって物事に働きかける者は、上手くいっても取り立てて喜ばないし、失敗しても取り立てて嘆きはせず、大地のような心境で悠然としている。物事が主体となって自分に働きかけれれている者は、逆境になれば、他を憎み、上手く行けば執着し、極めて些細な事にでも拘り囚われ、身動きが出来ない。 つまり、人間は自立していれば自然体の世界の住人として悠然と生きてゆけるが、自立できず依存した生き方をしていれば、他責の世界の住人として一生苦しみ続けるのである。 言い換えれば、達人とは自立し

ボタニカル哲学(後集93)節を守る

文章は自然体になることで上達し、道徳は自然体であることで成就する。 この「拙」という一事…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集92)造化の妙、人心に通ず

積雪の日の月明かりは、心を清らかで澄み切らせる。春風の穏やかな空気に触れれば、気持ちはや…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集91)身と心の処し方

白居昜(はっきょい)は、「心身を開放して、真底、大自然の原理原則に委ねてしまう事に及ぶも…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集90)朽ちることの無い精神

あらゆる音が静まった中で、一羽の鳥の囀りを聞けば、味わい深い優雅を感じさせる。あらゆる草…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集89)住めば都

窮屈な部屋の中に居ても、一切の思惑を全て捨て去れば、画棟(古い詩の引用で、豪華な建物を指…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集88)束縛も解脱も自身による

束縛されることも、解放されることも、自分の心の在り方にある。悟りを開いてしまえば、肉屋や…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集87)精神が充実していれば

精神が充実していれば、布製の粗末な寝具でも大自然の調和した真気を得る事が出来る。味覚に満足していれば、雑穀の粗末な食事でも人生のさっぱりとした真実を知ることが出来る。 つまり、物の豊かさと心の豊かさは全く相関しないということ。 言換えれば、達人とは、欲望を捨て去ることにより得られる「大安心」を得ている人と言えるだろう。   ↓↓↓↓↓ オンライン勉強会(無料)を開催しております ↓↓↓↓↓          https://surirekigaku.com/botanic