マガジンのカバー画像

ボタニカル哲学(菜根譚)

354
菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
運営しているクリエイター

2022年2月の記事一覧

ボタニカル哲学(135)美醜清濁を超える

美しいものがあると、その一方に必ず醜いものがあって、これが対になっている。もし自分から美…

力蔵
2年前
33

ボタニカル哲学(134)肉親の情愛と道理

父は子を慈しみ、子は父に孝行し、兄は弟を友愛し、弟は兄を敬愛する。 たとえ、それが理想的…

力蔵
2年前
27

ボタニカル哲学(133)節義経綸の来処

晴れ渡った空のような節操や道義は、暗く湿った部屋の中で養われるものである。 また、国を一…

力蔵
2年前
31

ボタニカル哲学(132)称賛も慎重に、批判は慎む

相手が善人と知っていても、本当に親しくなるまでは、それを褒め称えてはならない。 さもなけ…

力蔵
2年前
35

ボタニカル哲学(131)公論と私情

多数からの疑いに影響されて、自分の意見を捨ててはならない。 また、自分の意見に拘り、人の…

力蔵
2年前
28

ボタニカル哲学(130)思慮は深く、騙されても騙さず

「他人に危害を与えるような心を持たず、他人からの危害を受けないような配慮が無くてはならな…

力蔵
2年前
30

ボタニカル哲学(129)世界の平和は修めることから

我が身は、小さな宇宙である。 喜びや怒りの気持ちに間違いを犯さず、好き嫌いは宇宙の法則に随えば、それが正に調和の働きである。 この世界は、一種の父母のようなものだ。 全ての大衆に不満心を持たすことなく、万物に支障が無いようにすれば、正に和合の姿なのだ。 つまり、マクロの宇宙とミクロの宇宙は相似形で、宇宙の法則や原理原則は人間の世界にも当てはまるり、それが解って実行すれば大安心の世界が完成するということ。 言い換えれば、活人は日常に世界を観る事が出来るし、世界に日常が観える

ボタニカル哲学(128)艱難辛苦は天の試練

ひどい仕打ちを受けたり、困難窮乏の苦労をすることは、優れた人物を鍛え上げるために天から与…

力蔵
2年前
38

ボタニカル哲学(127)他人に動かされない心

人が騙そうとしている事に気がついても、言葉に出さない。 人から軽く見られていても顔色ひと…

力蔵
2年前
51

ボタニカル哲学(126)見識と努力

私利私欲に打ち勝ち制することは、理解が遅れれば、実行するのは難しいという者がいる。 また…

力蔵
2年前
36

ボタニカル哲学(125)ものも心も移りゆく

よく晴れわたった青空も、一変、雷が鳴り響く、稲が光る空となり、強風と豪雨となったかと思え…

力蔵
2年前
31

ボタニカル哲学(124)心の制御の仕方

気持ちがぼんやりしたり、気分が散漫しているときは、しっかりと目を覚まますことを学ばなけれ…

力蔵
2年前
31

ボタニカル哲学(123)心を許してはならない人物

沈黙して何も言わない人間には、本心を打ち明けてはならない。 怒りっぽく、自分が正しいと思…

力蔵
2年前
38

ボタニカル哲学(122)人の欠点に対処する方法

他人の短所は上手に取り繕ってやる必要がある。 もし短所を暴いてそれを露呈するのは、自分の短所で他人の短所を責めるようなものだ。 他人の意固地は上手に諭してやる必要がある。 もし、怒って相手の意固地を憎めば、自分の頑固を相手の頑固にするようなものだ。 つまり、人間は北風ではコートを脱ぐことはなく、太陽の暖かさでコートを脱ぐということであり、人の欠点に対処する時、強硬策は逆効果ですよ、ということ。 言い換えれば、活人は太陽の様な人なのだ。 ↓↓↓↓↓ オンライン勉強会(無料