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手拍子ができない日本人の動画がレトロで良い

西洋のビートが一般大衆レベルの日本人まで浸透したのはごく最近の事かもしれない。
曲に合わせて手拍子させると基本的に表拍でとってしまう日本人。

理由はたくさんあるだろうが、幼稚園や保育園、小学校で歌わされた童謡、表拍でとらせるように誘導されていたことも一つの要因だろう。
「どんぐりころころ」に合わせて裏拍で手拍子していたら面白いけど奇妙である。
まだなににも染まっていない子供なら裏で取ることを染み込ませれば別にできるとは思うが。

それはそうと、日本人が慣れ親しんできた民謡や盆踊りからして表拍ビートだから、親から子へ表はくのDNAが受け継がれていっていることは間違いないだろう。
この辺のことを詳しく書こうとしたら、わかりやすい記事があったのでこちらを参照ください。

さて、昭和の映像を見てみると、「手拍子が取れない日本人」が記録されており、なかなか面白い。
もはやレトロでとても良い動画を見つけたので2つご紹介。

榎本健一 私の青空(1968)

まずはこちら。
戦前から喜劇王として親しまれていたエノケンこと榎本健一が歌う「私の青空」。

1968年のテレビ映像とのことだが、彼の周りには坂本九や田谷力三など、当時の大物歌手が勢揃いしている。

早速榎本がアカペラで歌い出し、裏拍で手拍子をとり始める。
さすが日本を代表する俳優、歌手、コメディアンだ。しっかりと「裏」で刻めている。その裏拍で一丸となって手拍子を皆んなで叩いている。
しかし、司会の方が「皆さんご一緒に」と煽り、他の人たちが歌に加わってくと、途端に表拍になるではないか!!!
裏拍で手拍子をしていると思っていたが、、、、やはりプロの歌手といえ、そのまま歌うことはできなかった。

ここで、榎本は裏拍のビートに戻そうとリカバリー作戦に出る。
半拍早めて次のフレーズを歌い始めた。
これによって事実上榎本が裏ビートに回帰することができた。
このまま他の人も榎本に合わせれば解決するが、、、、、
「なんか早く出たぞ、、、」という雰囲気だけでて輪唱のような感じになってしまった。

これではいかんと、次の作戦に出る。
テンポアップだ!!!!!
急激にテンポを上げることによってもう一度仕切り直そうとした。
しかし、強烈な表拍意識の方々の意志は固く、単なるテンポアップにしかならなかった。
最終的に、大勢の表拍に囲まれて、もうそれを受け入れるしかなかった榎本だ。

1968年、当時のプロ歌手、音楽家がこんなに大勢いたとしても表拍にならざるを得なかった、そんな日本だったのかということがわかるとても面白い映像資料である。

神楽坂はん子  ゲイシャ・ワルツ (1973)

江利チエミの「テネシー・ワルツ」に対抗して作られた「ゲイシャ・ワルツ」。

三味線の音色とどう頑張っても表拍で手拍子を取らせようと誘導する強いビートが特徴ないわゆる「お座敷ソング」。
そこに異国情緒の象徴である「ワルツ」を入れるとこうなってしまうのだ。
ワルツというより、永遠と「字余り」な日本の奇数美(?)が展開されているようにも聞こえる。

さて、お座敷ソングなので手拍子をとることがもはや礼儀である。
ということでライブ映像を見てみると、ご覧の通り、
観客は無理やり2拍子解釈して表拍で手拍子をしているではないか!!!
これはポリリズムだ!!!!!!
もはや高度なことを無意識にやっている日本人。
まあ3拍子だろうが5拍子だろうが、三味線がなってお座敷サウンドが聞こえたら2拍子の表拍でとるしかないだろう。


こう考えると、当たり前のように西洋音楽の耳に慣れ親しんだ現代の日本人は少しずつリズム感が成長していっているのだなと実感。
まあでも自然に手拍子したら表になっちゃうよね。


おまけ:カンベア

ちょっと前にカンベアの手拍子が話題になっていたのを思い出した。

うん、まだまだ日本人は表拍が染み付いている。

また日本人の拍子感で面白い話題があったら取り上げていきますね。

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