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YMO 1st 日本版とUS版を「アクロバット」から考える

今回はYMOの中でも一番好きなアルバム「Yellow Magic Orchestra」について考えていく。

YMOの1stアルバムはその名も「Yellow Magic Orchestra」である。
このアルバムは1978年に発売されたオリジナル版と、翌年アル・シュミットによってリミックスされたUS版の2種類があり、どちらの版も大変人気である。

こちらがオリジナルの正真正銘1stアルバム

そして、これがいわゆる「US版」

このように二種類のバージョンがあるアルバムは、

「やっぱりオリジナルこそ最高、なんで余計な手を加えてリミックスアルバムなんて出したんだよ、誰が聞くんだよこんなもの!」

「オリジナルのままじゃ駄作として世に埋もれてたな、掘り起こしてくれて有難う。ここまで手を加えないとやっぱり厳しいよな」

のように、どちらかが評価されてどちらかが埋もれる場合が多い。

しかし「Yellow Magic Orchestra」は未だにどちらの版も人気であり、メディアに取り上げられる際もオリジナルの音源かUS版の音源か半々くらいの割合で使用されている。また、YMO史を扱う際も、ざっくりと紹介するときはどちらのアルバムのジャケットも使用されることがあり、まさに人気を二分していると言える。

ジャケットのインパクトとしてはUS版の方が強いだろう。
オリエンタルでエキゾチックな浴衣の女性、そして頭からケーブルが生やされているこのデザインは絶妙にかっこいい。

余談だが、このデザインは吉田ユニが手がけた星野源の「Yellow Dancer」のジャケットにも通じている、、、、ように思えるが、これは「偶然」だそうだ。



「US版」が誕生した経緯をおさらい


聴き比べをする前に、なぜ二種類のバージョンが存在することになったのかの経緯を追っていこう。

1978年、YMOが結成し「Yellow Magic Orchestra」をリリース。
そして、同年、新宿の紀伊國屋ホールにて開催された「フュージョン・フェスティバル」に参加したのである。
その音源がこちら。

テクノというよりはフュージョン色がまだまだ強い演奏スタイルなのがわかるだろう。渡辺香津美のギターが張り切っているのがとてもいい。

実はこのライブにA&Mレコードのプロデューサーであったトミー・リピューマが鑑賞しに来ていたのだ。
A&Mレコードとはアメリカの最強レコード会社で1970年代はカーペンターズやポリスなど世界的大物ミュージシャンが所属していることで有名。
そして彼は「私は、この音楽を世界に広めなければならない」と発言したそうだ。

その頃、YMOが所属しているアルファレコードがA&Mレコードの日本での販売権を獲得しており、その契約内容にアルファレコード所属ミュージシャンの「世界進出」も盛り込まれていた。

ということで、YMOの世界進出が決定したのだが、
このままじゃアメリカ市場に合わない、、、と判断されたらしく、
アル・シュミットが全編リミックスして「US版」がリリースされることになったのだ。

そして天下のA&Mからリリースされた「US版」が注目を集めると日本に逆輸入という形で紹介される。すると、オリジナル版はなんと廃盤になってしまうのだ。
つまり、逆輸入のブームからYMOを知った人はオリジナル版を見ることがなくいきなり「US版」を手に取っていたということになる。
2つの版どちらも未だに人気が高いのはこういう経緯もあるのかもしれない。

サウンドの違い

それでは1stアルバムの日本版とUS版を聴き比べてみよう。

時系列で考えると、1stアルバムは細野晴臣トロピカル三部作の延長線上にあると考えている。
また、レコードの帯には「細野晴臣」の名前がとても大きく印字されていることが特徴である。そのため、日本版は細野色がとても強く、細野がやりたい音が込められていると、よく言われている。


この辺りの考察は上記の以前の記事にまとめてみたので、お時間があれば読んでください。

オリジナル版はシンセサイザーの一つ一つの音が武骨で、原色の音が乗っている印象だ。ドラムはヘッドの感触まで伝わる。ギザギザした波形はギザギザと飛んでくる。そしてまだ新しい電子の音を使って遊びまくっているのがわかる。

一方アメリカ版はディスコカルチャーの影響なのか、低音が増強され、グルーブもはっきりしている。
1970年代のポップスといえば、アース・ウィンド&ファイアーやドナ・サマー、ABBAなどが席巻していた時代。YMOもこの路線に乗せたかったのだろう。
オリジナル版でさまざまな処理が施されていた音形がフラットになり、ダンスミュージックとも取れるサウンドに仕上がった。
ある意味では退化だが、ある意味では進化している。

皆様はどちらが好きだろうか。
私はUS版の方が好きな音だ。
星野源もUS版を気に入っているらしい。
細野晴臣ご本人はやはりオリジナル版を推しているが…

細かい違いを挙げればたくさん出てくるが、主な変更点としては
・東風に吉田美奈子のボーカルが追加された
・アクロバットが削除された

の二点がわかりやすい。

私は先にUS版を聴き込んでいたため、オリジナル版を手にしたとき
「えぇ、一曲多い、アクロバット、、なにこれ、ということはUS版作成するにあたってわざわざ削除したの!?!?」
と衝撃を受けた。
「アクロバットが聴けるから」という理由でオリジナル版を愛好している方も多いはずだ。

私はこのアクロバットの有無によって、2つの版の「世界観」が異なっていると感じる。ストーリーの結末が大きく変わるのだ。

幕開けは「コンピューター・ゲーム」

このアルバムのA面1曲目とラストは1970年代後半に流行していた「サーカス」「インベーダーゲーム」の音源が使用されているトラックだ。
その名も
コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ”
コンピューター・ゲーム “インベーダーのテーマ”
である。

一応公式のMVがあるのでご覧いただきたい、、、

これの元になったアーケードゲーム「サーカス」がこちら

このビジュアル、見覚え無いだろうか。

オリジナル版のアルバムジャケット

そう、オリジナル版のジャケットだ。
左側、多少デフォルメはされているが、確実に「サーカス」が描かれているのがわかるだろう。

つまりこのアルバムは大衆に大人気のアーケードゲームが核となって展開されていっているのだ。

このアルバムには「コンピューターゲーム」の他にもう一つ異質なトラックが収録されている。
ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック」だ。

「中国女」と「マッド・ピエロ」の間に挿入されているこのトラックはまさに架け橋(つなぎ)である。
「中国女」のビートを受け取りつつ、少しづつゆったりした雰囲気に展開され、微睡むような、幻影的なテクノの海が広げられる異質な空間だ。


そこで、アルバム全体をアーケードゲームとして聴いてみるとどうなるか考えてみると、
「コンピューターゲーム」でゲームに入り込み

「中国女」にかけて様々なゲームが繰り広げられ、ついに全てクリアした状態になる。

「ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック」によってクリアの余韻

「マッド・ピエロ」によってエンディング(エンドロール)

と感じ取ることができる。
(もちろん1978年時点でここまでの音楽性があるゲームなど存在してないことはわかっている。)


さて、「マッド・ピエロ」の後にオリジナル版だと「アクロバット」が挿入されている。
再び「サーカス」のサウンドが流れ、壮大な「マッド・ピエロ」とは対照的に、アーケードゲームらしいチープな雰囲気だ。

その結果、アルバム全体が「サーカス」でサンドイッチされる構造になり、ゲームの世界から脱出できる仕掛けになっている。
一方US版はゲームから脱出できず、一生ゲームの余韻にはまり込むことができる。
一度壮大に広がった世界を、再度チープに戻す必要があるのか?
チープなゲームから夢を見させてもらったのに、最後「夢オチでした」と現実に引き戻しネタバラシする必要があるのか?

さて、アルバムの音楽性的にどちらが正解だろうか。。。。
これはもう好みの問題ですかね?

私は「アクロバット」がない方が余韻が充実していて好きなのですが。。。。



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