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川崎から熱海まで24時間不眠で歩いた話~第六章~

夜明けはもうすぐそこというところまで来た。
小田原の終盤辺りからアップダウンが激しくなり、脚全体に刺激が入る。

海からの御来光を拝むことは出来ず、山中で朝を迎えることとなった。尻ズレを除けば五体満足。なんならスキップでもしてやろうか?というぐらい私は元気だった。しかし友人Gは無いはずの体力をインスタで前借りした反動が来たのか、ペースが落ち始めた。しかし私は自分の歩くリズムを崩したくなかったため、彼にペースを合わせなかった。
「女の子と歩くペースを合わせるのがモテる男」なんて言葉を耳にしたことがあるが、Gは女の子ではないのでこの際私がモテない云々は放っておいてほしい。だいたいペース合わそうが車道側歩こうがモテないものはモテない結局チャラいやつか金持ちがモテて私みたいな真面目に生きてきたやつはいつも損する彼女できてもすぐ振られる!!

あらやだ、理性が吹っ飛んでしまいましたわ。

ひとまず急峻な上り坂を超え、下りに入る。夜明け直前からしばらく海を見ていないことが若干不安を感じさせた。

既に日の出の時刻を大幅に超えていた。山道には蝉の声がひとつ、ふたつと鳴り始め、雨上がりの湿った空気を吹き飛ばすように乾いた声が響き渡っていた。周囲はすっかり明るくなり、一睡もしていないのに眠気は無かった。日光のパワーを侮ってはいけない。
下り坂がしばらく続き、また海の到来を感じた。ゴールの熱海駅までにもう一つ大きいアップダウンを乗り越えなければならないが、ひとまず山場は越えたと言っても良い。時間を追うごとに日差しも強くなってきた。日の入り直後からお役御免となっていた帽子とサングラスが復活した。ああ、なんて用意周到なんだろうか、俺は。

そして朝になったら楽しみなものといえばそう、朝食である。夜通し歩き続けた身体はエネルギーがもうカラカラである。セブンイレブンに駆け込んだ私たちはおはぎやおにぎりなど大量の糖質を買い込み、スカスカの胃にぶち込んだ。
コンビニの前でたむろしながら糖質を貪り食うのはなぜか気持ち良かった。徹夜で頭がバグっていたのかもしれないが、周囲の目など気にならなかった。
ただし、ニベアを塗り込む時だけは別だ。
日が昇って唯一困ったのはニベアを塗る時だ。明るい分人の目を避けて股ぐらに塗るのは難しい。だがこの技術もそれなりに板につき、「股間の狙った箇所にニベアを速く塗る選手権」があったら優勝できるぐらいの速技を身につけていた。
さて、ガソリン注入、潤滑油(ニベア)注入完了。熱海まで残り8キロほどだ。私たちは勇み足でコンビニを後にした。

下り坂を下り切ると湯河原町に入った。神奈川県西の最果て。ここを抜けるといよいよ熱海に入る。
もう股ズレにも慣れてきたのか、あまり痛くなくなってきた。不眠による疲労で痛覚がバグっていたのかもしれないが、プラス要素であることは確かだ。

ここでGがトイレに行きたいと言い出し、私たちは行きずりの公衆便所付近でしばしの休息をとった。尿意ゼロだった私は駐車場のきったない地面にうつ伏せになり、休憩体勢をとった。クソデカリュックを背負っているため、これが1番楽な体勢だった。肩にかかった負担がガス抜きのように消えてゆく。こんなに重いリュックを背負っていたのかと休憩のたびに新鮮に思った。
あまり長くは休憩したくないのだが、Gはなかなか帰ってこない。間違いなくうんこだ。あいつはうんこに行くなんて言ってなかった。私がこの世で許せないものが3つある。
1.自分の価値観を押し付けてくる人
2.自慢する人
3.トイレに行くときにそれがうんこか否かの報告をしない人
である。彼はこの三大禁忌のうち1つを犯した。だってうんこかどうか分からなかったらどれぐらい待てば良いか見当が付かないではないか。他人のうんこ待ちというのは想像以上にイラつきの溜まる行為なのだ。何のためにホウレンソウを学んでいるのかまるで分かっていない。
雨雲も近づいてきているのでなるべく早くゴールしたい。しかしうんことは残酷で、やり始めたら絶対に完了するまで次に行けないのだ。

早く戻って来いよあの肉ダルマ…

もう無視して先に行こうかと思った矢先、Gのうんこがようやく終わった。やれやれ。次に報告無しでうんこに行ったら脇ズレを発症している彼の二の腕に唐辛子を塗りたくってやる。ニベア塗りで身につけた高速塗布技術を存分に発揮してやるのだ。

かなりペースは落ちているが、私たちは止まらない。止まるわけにはいかない。もう湯河原町も終わりに差し掛かっている。ここを抜けるといよいよ熱海だ。
そしてその時は来た…

静岡の県境。ラストスパートの山道が見える。

とうとう神奈川脱出。静岡県に来るのなんていつ以来だろうか。ここまで本当に長かった。静岡県の看板、熱海の看板、無機質な富士山が描かれた看板はここまで80km以上歩いてきた若人にとっては遥か高くにそびえる孤高の存在に見えた。そしてこの看板を境に長く急勾配の山道に入った。これがJR熱海駅へ向かう私たちに立ちはだかった最後の砦。SASUKEでいうところのファイナルステージだ。挑戦者はゼッケン番号99と100を付けた私たちだけ。1から98までは欠番だ。

意気揚々と静岡県の地を踏んだ私たちだったが、やはりここにきての急勾配はきつかった。リズムを崩さぬよう太ももを振り上げる。また降り始めた小雨が足元を濡らしてゆく。山道の歩道は人ひとり通るのがやっとの幅だ。ペースの落ちた友人Gの足音と息遣いを背中で聞きながら山を登る。しかし彼は限界が近いのか、耳に届く音はだんだん遠ざかっていき、雨風にかき消されてゆく。気が付くと振り向いても彼が見えなくなっていた。ここまでずっと二人で歩いてきたが、初めて孤独を感じた。彼はこの時何を考えていたのだろう。まあどうせ上り坂になってケツの筋肉にも刺激が入って心地いいからこの後タンパク質いっぱい摂らなきゃ!☆
ぐらいの事しか考えていないだろう。愛すべき筋肉バカ。終わったらいっぱいタンパク質摂ろうねっ!
と筋肉テレパシーを送ったが、私の筋肉量ごときでは送信能力が不十分だったかもしれない。彼の受信能力の高さに期待するしかない。

直線2kmの上り坂を超えると下りに入った。そして、木々の隙間に熱海の温泉街を見下ろすことができた。もうゴールは射程圏内。あのどこかに私たちが泊まる予定の宿があると考えるとアドレナリンが湧き出てくる。しかしまだ道のりは遠く、下り坂と平坦な道が入り交じり、道は蛇のようにいくつものカーブを描いていた。
ふと、日本有数の観光地はこんな坂だらけのところにあるのか…?という疑問が湧いた。観光地ってもっと平らな土地がドーンと構えているようなものではないのか?この疑問を誰かに共有したくて、一旦Gが追い付くのを待った。
しかしかなり待っても彼は現れなかった。知らない間にかなり引き離してしまったようだ。一向に姿が見えないので「もしや事故にでもあったのでは…」という不安がよぎったが、杞憂に終わった。ペースの落ちたGがカーブの端からぬっと現れた。そして私は思った。
「歩き方おもしれえ!!!」
脇ズレと股ズレの悪化したGは皮膚どうしが擦れないよう、脇を開けてガニ股で歩いていた。特に脇の不自然な開きようったら滑稽だ。ガニ股ならぬガニ脇とでも言おうか。上半身と下半身にそれぞれガニを抱えた新しい歩き方、ガニガニ歩きでこちらに向かってくる彼は私の心をくすぐった。
真剣にやっている人間を笑うな!という叱責が飛んできそうだが、それは違う。真剣にやっているからこそ面白いのだ。ものすごく滑稽な歩き方なのに顔がものすごく真剣なのがギャップを生み、面白い。安っぽいおもちゃのような歩き方で向かってくるGを見ながら、私は修士研究でなかなか思い通りに動いてくれなかったロボットを思い出していた。

笑いをこらえられていたかどうかは分からないが、Gがついに追い付き、こんな勾配だらけのところに熱海駅があるのかという不安をGに吐露した。彼はすぐさまスマホを取り出し、熱海駅までの距離を教えてくれた。この旅ではルート確認を全て彼が請け負ってくれていたのだ。
「あと2kmでゴールだぞ!」
なんだ、あとそんなものか。それなら心配はいらないか。

じゃあ次は熱海駅の直前で会おう。お礼にGのペースに合わせてやる、なんて心を持っていない冷酷な私はしばしの別れを告げ、再び彼との距離を離しにかかった。呼吸を整え、かかとで地面を掴む。地面を撫でるように力をかかとからつま先へと移し、宙をひとかきした後またかかとで地面を踏む。脇ズレの発症していない私は脇をしっかりと締めてリズミカルに腕を振った。

しかしなかなかゴールが見えてこない。熱海駅って新幹線が止まるぐらいだからけっこう大きな駅のはず。なのになんだ、周囲の景色はいつまでたっても山道だ。ちらほら土産物屋などは建っているが、大きな駅がある雰囲気を全く感じない。Gがゴールまであと2kmと言った地点から1kmぐらいは歩いているはずだが、あとどれぐらいでゴールなんだろう。
正確な距離を知ろうとスマホを取り出した。

マップよマップよマップさん、熱海駅までの距離はあとどれぐらい〜〜??

もう1kmも無いはずだとタカを括っていた私はディスプレイの文字を見て膝から崩れ落ちた。

まだ2kmもある!!!

いやいや1kmちょっとの違いでそんなショック受けんなよ、わざわざ太字にすんなよ、誤差だろと思ったそこのあなた。
あなたには分からんでしょうねえ!!
某号泣議員もびっくりの涙を以って訴えたい。不眠で20時間以上も歩いた後のオマケの1kmは想像以上に精神にくるのだ。今日が金曜日だと思っていたのに、実は水曜日でしたー!ぐらいの攻撃力がある。

Gが自信満々に残り2kmだと言っていた姿が目に浮かび、怒りとやるせなさを感じた。
「嘘つき……」
昭和のドラマでしか聞かないようなセリフを小雨の降る中で独りごちた。だが悲劇のヒロインぶったところで熱海駅との距離は1ミリも縮まらない。雨が強くなる前にゴールしなくては。負の感情をエネルギーに変換し、歩くしかない。切り替えの速さだけは超一流のつもりだ。

午前8時が近く、交通量も増えてきた。太陽は隠れたり顔を出したりを繰り返し、雨もそれに倣うように断続的に降っている。狐の嫁入りかと思いきやすぐに雨があがり、しばらくするとまた嫁入りするという忙しない天候だった。とんでもない出戻り狐がいたものだ。この日だけでバツ4ぐらいにはなっていただろう。

いい加減歩くのにも飽き飽きしてきた頃、ようやく熱海駅へ向かう最後の一本道へ辿り着いた。ここで置き去りにしたGを待つこととする。かなり距離が空いていたようで、なかなか姿を見せない。エネルギー切れで山道でくたばっていないか心配だ。だが彼は残り2kmという大嘘をついて私のメンタルを削ったのだ。心配はほどほどにしておく。
ようやくGが追いついてきた。相変わらず面白い歩き方である。当人は真剣だから余計面白い。
駅が近いのだろう。近代的な建物も散見され、車道にはタクシーがやたら目立つ。そしてヒイヒイ言いながら最後の丘を登り切った時、待ちに待ったそいつが姿を現した。

熱海駅。駅前の足湯はコロナの影響で干上がっていた。

熱海駅だ………
本当に着いちまったぜ。到着できそうな予感は出発前から抱いていたが、いざ本当に着くとやはり感慨深いものである。待っていたぞバカどもよ。とでも投げかけてくるような威圧感。これが熱海駅である(違う)。

しかし当然ながらゴールらしいゴールというものは無かったため、仕方なく改札手前の銀色のラインをゴールとすることにした。一緒に歩いてきたGと肩を組み、散々置き去りにしたクセに最後の一歩だけは合わせるという都合の良さ。彼の隆々とした三角筋の凹凸を感じた。筋肉はパンパンに固くなっているのに、顔面にはキラリと光る汗を伴ったニヤけ顔をぶら下げてやがる。憎い、いや、肉い。
二人三脚の要領で足を揃え、ゴールの準備を整える。これまでの旅路を反芻した後、すうっと息を吸い込み、周囲の怪訝な目を吹き飛ばすように掛け声を送り合った。
「せーの!!!」

…ダンッという重低音が雑踏の中に響き渡った。10万歩を超える旅の最後の一歩はこれまでで最も力強く、地面から伝わる反発力が膝から太もも、そして体幹部を伝って脳内で弾けた。私たちにとっては偉大な躍進。かのアームストロング船長が月面に記した足跡に引けを取らない一歩、いや二歩を熱海に刻み、私たちのくだらないチャレンジは幕を閉じた。

ひとしきり記念写真を撮り、互いを労った後でGは温泉に入った後の着替えを求めてコンビニへ向かった。ガニガニ歩きで白い目線を浴びている彼は後ろから見てもやはり面白かった。(3回目)

Tシャツを求めてコンビニに向かうG

駅でタクシーを拾い、熱海の温泉で酷使した身体を癒した。かの徳川家康も浸かったという眉唾ものの伝説を持つ温泉である。
そして露天風呂に入った途端、土砂降りの雨となった。
「ギリギリセーフやったな」
湯に浸かりながら雨に打たれるのは悪くない。強者の余裕。私たち2人は雨雲より一足先に熱海に着いた優越感に浸りながら共犯者のように笑い合った。

午後からは静岡県が台風直撃の憂き目に遭い、熱海のビーチでボディビルポーズを決めるという私たちの夢は次回のチャレンジへ持ち越しとなりましたとさ。

〜終わり〜

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