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ふかひれラーメン屋の夫婦喧嘩

気仙沼に行ったことがある。

わたし達は学生時代のクラスメイトで、社会人になっても5人でよく遊んでいた。みんな仕事が忙しかったり、出会いのチャンスがなかったりで、独身のまま20代後半にさしかかっていた。ところがある日、その中の一人が「結婚する」というので、「まじか!!」と小躍りした。寝耳に水だが、喜ばしいことだ。

さて、友人は鹿児島県出身だが、宮城県の気仙沼に行くと言う。わたしたちは九州生まれの九州育ちばかりで、東北に縁のある人は一人もいない。「どんなところかねえ」「寒かろうねえ」「食べ物が口に合うかねえ」と東北地方をろくに知らないで心配していた。当の本人は「なんとかなるやろ。とにかく、やってみないとわからんし。幸せになる!」と、決意も新たに旅立った。愛する人が待っているのだ。わたしたちの心配など、どこ吹く風である。

1年後、「赤ちゃんが生まれたよ」と連絡をもらった。みんなで「いこう!」と話がまとまり、初めての気仙沼に繰り出した。それにしても、とにかく遠い。福岡空港から仙台空港へ、そこからバスでJRの仙台駅へ。さらに列車で気仙沼へ。全行程は8時間に及んだ。

無事に到着し、友だちと再会を果たし、赤ちゃんをお披露目してもらった。旦那さんのお母さんがニコニコしながら何か言ってくれたが、さっぱりわからない。友だちが「遠くからよく来てくれたね、お腹空いたでしょう。何もないけど、たくさん食べて行ってね」と、通訳してくれた。お母さんの手料理は素晴らしかった。郷土料理と新鮮な魚介を堪能して、私たちはご機嫌だった。

ホテルに泊まり、翌日は観光をした。シャークミュージアムとか、魚市場を見てまわり、それから大島に渡って、亀山にリフトに乗って登ったり、フェリーでカモメにお菓子を取られたりした。そして、「気仙沼に来たなら、やっぱりフカヒレを食べておかなくちゃね」とお気楽な独身アラサー五人組は、陽気にラーメン屋のドアを開けた。

ところが、さっきまでの陽気な空気が、スーッと氷点下に下がった。どういうわけかわからないが、店内の空気がピリピリと張り詰めている。後には引けず、「あの、五人ですが…いいですか?」とカウンター越しにおそるおそる聞いてみる。

「どうぞ」と大将と思われる人に言われたが、声も顔もこわい。おかみさんぽい人が、「なんにしましょう」とオーダーを取りに来たが、これまた沈んだ声。「ふ、フカヒレラーメンを5つ…」

ほどなくして、ラーメンが出て来て、私たちが食べ始めると、カウンターの中では静かだが口論が始まった。おかみさんが、パッとエプロンを外して、「もういい。行くわ」とカウンターから出て来た。「おい!」と強い口調で大将が背中に声をかけるが、おかみさんは振り向きもせずにスタスタと店の外へ出て行った。私たちは、無言でラーメンをすすって、味もよくわからないまま、黙々と食べた。

会計を済ませようと立ち上がっても、大将は背中を向けたままだ。「あの…すみません…お勘定を」と声をかけると、「あーはい。ありがとうございました」と低い声で返事があった。

表に出た私たちは、みんな深呼吸をした。「あー。息ができなかった」「いやー、緊張したー」と、口々に言った。あのラーメンの味を思い出せない。美味しかったかどうかすら、覚えていない。ただ、赤と白のチェックのテーブルクロスと、入口のガラス戸、カウンターの大将の背中はよく覚えている。

気仙沼での思い出については、他にも書くべきことがある。


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